日中国交回復を遡ること15年前の1957(昭和32)年、考古学者で組織された訪中視察団が当時の中国考古学の状況を視察した。それから、本年で50周年を迎える。
視察団は、中国科学院の郭末若院長からの招聘を受け、日本考古学協会と毎日新聞社の共同主催で組織された。
その構成は、原田淑人(日本学士院会員・当時、以下同じ)を団長とし、団員には杉村勇三(東京国立博物館土俗室長)・駒井和愛(東京大学文学部教授)・水野清一(京都大学人文科学研究所教授)・杉浦荘介(明治大学文学部教授)・関野雄(東京大学東洋文化研究所助教授)・樋口隆康(京都大学文学部講師)・岡崎敬(京都大学人文科学研究所助手)の8名の考古学者と安保久武(毎日新聞社写真部長)・杉本要吉(毎日新聞社学芸部員)の2名の毎日新聞社関係者によって組織された。
視察団は、4月16日に羽田を発ち、翌日香港経由で入国。その後、広州・杭州・上海・南京・曲阜・済南を経て、4月29日に北京入り。そこから甲乙の二組に分かれ、甲組は西安・洛陽・鄭州・安陽・北京を、乙組は敦煌・蘭州・成都・西安・洛陽・鄭州を視察し、両組は5月27日に鄭州駅で合流。その後武漢・長沙を経て広州に至り、6月1日に出国。香港経由で6月4日に帰国した。
この間、視察団は各地の考古学研究機関・博物館・大学・遺跡等を見学するとともに、9回に及ぶ講演会を実施した。また、各地の研究者と座談会を開き、その時に得られた多くの成果を日本に持ち帰った。その成果の一部は、『中国考古学の旅』にまとめられ、同年10月15日付けで毎日新聞社から刊行されている。残念ながら日本側の視察団で現在健在な方は、樋口所長のみであり、この50年前の画期的な出来事も風化しつつある。
そこで、1949年に成立した新中国との研究交流の原点である50年前の視察団の足跡を辿りながら、当時の両国の研究と交流の情況を振り返るととものい、視察団の今日的意義を紹介するための展示を企画したい。