戦後の混乱期にGHQと堂々と渡り合い、「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた白洲次郎。幼い頃から能に親しみ、骨董・文学の世界に分け入って、世の風評にとらわれず自らの「美」を貫いた白洲正子。二人はともに若き日を海外で過ごし、世界的な視野から日本を見つめた国際人でした。
白洲次郎は戦後、吉田茂に請われてGHQとの折衝の矢面に立ち、憲法改正交渉のすべてに立会います。さらに通商産業省設立や電力再編にも深くかかわり、荒廃した政治・経済に道筋をつけるとともに講和条約の締結に向けて奔走しました。行動は常に自らのプリンシプルに基づき、相手がGHQであろうと誰であろうと、主張を曲げることは無かったといいます。多くの反発を招く一方で、白洲次郎を慕う人々の言葉が、彼の人間的な魅力を様々な形で物語っています。
白洲正子は独自の視点で能や骨董・文学を愛し「どきどきさせるものだけが美しい」と言い切り、どんな犠牲や苦労も厭わず自らの美意識を貫きました。
白洲次郎と白洲正子—確固たる価値観を持ち続け、厳しくそしてしなやかに生きた二人。活躍の舞台は違っても、その生涯には相通ずる強さと潔さが感じられます。
白洲次郎は「夫婦円満の秘訣は、一緒にいないことだ」と語っています。しかし、東京郊外・鶴川の武相荘(旧白洲邸)での二人の暮らしや、食卓にまつわるエピソードなどからは“白洲次郎と白洲正子”という常識にとらわれない夫婦のありかたが見えてきます。
社会でも家庭内でも人間関係に大きな不安を抱える今、妥協することのない二人の生涯は、現代社会を生きる多くの人々の共感を呼ぶことでしょう。