今から約170年前の1839(天保10)年にフランスで誕生した銀塩写真術は、特許公開以後急速な勢いで全世界へと普及しました。同時に「カメラ」も主として木工製品の技術を反映したイギリスで発展を遂げました。やがてカメラのボディ素材が金属へと移行するにつれ、大量生産方式を確立して写真産業を世界的規模で大きく発展させたアメリカや、数多くのカメラ・光学機器メーカーが存在し、小型精密カメラを中心に長きに渡り世界のカメラ界をリードし続けたドイツが世界的なカメラ生産国となりました。また1960年代になると「35ミリ一眼レフカメラ」の技術進化および機構の電子化を確立した日本が世界的なカメラ生産国となります。また今日主流を占めているデジタルカメラを製品化したのも日本であり、現在に至るまで日本のカメラメーカーは世界の写真産業においてたいへん重要な役割を果たしています。
しかしこれら主要生産国の一方で、高度な水準を持つ時計生産技術をカメラ機構に反映して精密な製品を作り上げたスイス、16ミリフィルムを使用する極小型カメラから35ミリ一眼レフカメラまで幅広い種類のカメラを生産していたイタリア、社会体制の違いに伴って世界的なカメラ発展の流れとは異なる独自の発展を遂げていた旧ソ連や中国、同様にカメラ生産国として長らく知られざる存在であったチェコスロバキア、35ミリ一眼レフカメラ発展の初期に貴重な役割を果たしていた旧東ドイツやハンガリー、極小型カメラの代名詞である「ミノックス」を生んだラトビア、プロ向け中判一眼レフカメラとして知られる「八ッセルブラッド」の本拠地があるスウェーデンなど、一般的にはカメラ・光学機器・写真感光材料の生産国としてあまり知られていなかった国や地域が多く存在します。