芳賀氏は、1921年に、中国大連市に生まれました。1939年に入学した慶應義塾大学で折口信夫氏から民俗学を学び衝撃を受けます。大学卒業後、日本写真家協会の創立者の一員として入会します。以後、民俗写真に専念し、日本・世界の祭り、民俗、民族音楽ならびにクラシック音楽の写真撮影を精力的に続けました。1985年には、日本と世界の民俗写真30万点を提供し、株式会社芳賀ライブラリーを設立し活躍し続けています。
今回は、「1955-1957自然と文化 奄美」と題して、1955年7月から1957年9月まで、奄美の人々の暮らしや仕事、独自の発展をしていた奄美の宗教生活、亜熱帯ならではの文化を写しだした作品群をご覧いただきます。
民俗学者たちによる九学会連合が、日本の基層文化と南方文化の相関関係を明らかにするための調査に選んだ土地が奄美諸島でした。氏は調査の一員として選ばれ、一万枚を超える写真を撮影しました。漁や稲作、ユタ(巫女)とノロ(祝女)制度、住居、冠婚葬祭、地形など細やかに調査は進められ、撮られた写真は時代や地域の色を強く映しだしたものでした。
九州の南端から南方に伸びた奄美諸島は、本土から切り離された歴史や琉球王の統治下にあった過去もさることながら、亜熱帯の気候に属し、台風の多発する地域であり、地理的・自然的条件があまりに本土と異なるため、奄美独自の文化を築いていました。近年では消失してしまった、年中行事や宗教文化・儀礼が多々あり、血縁者だけではなく、島全体での深い繋がりを意識せざるをえません。謙虚に自然と向き合い、季節ごとに神を祀り、祖先を崇めるという、濃密に季節と調和して暮らす日本人の姿を垣間見ることができます。
民俗学の視点で捉えた芳賀氏の「奄美」は、人々が何を心の拠り所としていたのか、生活の何処に重きを置いていたのか、都市化と近代化によって失われつつある日本の習俗・文化の源流の意味を捉えています。