現在、「日本の少女文化」(漫画、音楽、ファッション)が、国内はもとよりヨーロッパ、アジアなどの美的感性を牽引する一つの要素として注目されています。そしてそれらの源流をたどると、大正時代に誕生した「少女」という新しいイメージに行き着くことは、衆目の一致するところとなっています。
ところが大正の社会規範(通念)として、少女たちは「良妻賢母の予備軍」であり、「男性を支える」ことに生涯を捧げることを強要されていました。このことは西洋思想の基本にある「個性ある自立」をめざす個人の在り方とは対極のものであります。近代的教育を受け「新しい女性」を目指すことを教えられながらも、理想と現実の狭間で大正少女たちの欲望は宙吊りの状態にあったと言えます。行き場のない少女たちの欲望は、内的世界や幻想世界に向い、そこで儚い少女文化を開花させたのです。
高畠華宵大正ロマン館では、大正少女たちの閉塞した心の内側を代弁するような華宵少女の中にある、特異なエロティシズム、幻想性(ファンタジー)、耽美性(デカダンス)、などに焦点を当てて、大正少女たちの欲望を探ってきました。そして今回は、華宵少女の「人形性(ピグマリオニズム)」に注目します。
幻想耽美芸術の流れの一つとして「創作人形」が脚光を浴びています。創られた人形には、永遠の少女の中にある可愛さと美しさ、その反面、妖しさ(エロティシズム)と冷酷さが混在し、その「魔的なもの」が私たちに何かを語りかけて来ます。いったい、人間にとって人形とは何物なのでしょうか?人は人形の中に何を見たがっているのでしょうか?永遠に交わることのない人と人形との間に、人は何を欲望しているのでしょうか?
華宵少女と創作人形の間を往還する時空で、人が人形を創り続けるように、永遠の少女の中にある「まぼろしなるもの」を追い続けて頂ければと願っています。