石本正(1920-2015)は島根県浜田市三隅町に生まれ、京都で活躍した日本画家です。
戦後すぐに開催された文部省主催の日展に連続出品し、また後進の教育に携わるなど、画家として順調なスタートを切りました。
1950年には創造美術に出品、新制作協会となった後もここを舞台に受賞を重ね、会員に推挙されました。1959年、注目の新世代を集めた轟会に、加山又造、横山操、のちに平山郁夫とともに名を連ねています。
この展覧会は大作を発表する研究会的な性格が話題になりました。また、1960年には初の個展を開催するなど、意欲的に制作してゆきます。
1964年に初のイタリア取材旅行でフレスコ画に感銘を受けると、その後の制作に大きな変化がみられます。1971年51歳で芸術選奨文部大臣賞、そして日本芸術大賞を受賞します。まさに順風満帆の画家としての歩みにおいて一転、石本正は以降の賞を辞退し、描くための時間を大事にしてゆきます。それは同じモチーフを繰り返し描いてゆく、画家としての厳しい執拗さに見出すことができ、「舞妓の画家」として知られるようになるのです。
新制作協会には出品し続け、1974年に創画会を結成する際にも行動を共にしています。この第1回展に、脚光を浴びていた舞妓の裸婦ではなく、鶏頭の花を描くと、継続して花を描いてゆきます。美しさだけでなく、翳りや枯れてゆく運命を予見するようなまなざしには、舞妓の虚飾のうちにあるものに透徹するのと等しく、生けるもの全てへの存在を問いかけるかのようです。
これまで門外不出であった作品を含め、全画業を紹介するために約160点の本画に素描類ほか資料を加えた、初の大規模な回顧展です。
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