古今東西の造形に触発されながらも現代感覚を大切にした安井曾太郎は、近代洋画史にひとつの金字塔を打ち立てた画家といえるでしょう。京都に生まれ、浅井忠に学んだ後、19歳でフランスに留学、パリの美術学校でも抜群の成績を修め、帰国した翌年の二科展では滞欧作44点を特別展示、華々しいデビューを飾りました。しかし、確固たる名声とは裏腹に、安井は日本人による日本の油絵とは何かという問題に直面し、真っ向からその課題に挑み15年もの歳月を費やしました。
長いトンネルを通り抜けた安井は、1929(昭和4)年の《座像》を皮切りに独自の藝術を一気に開花させます。《金蓉》、《深井英吾氏像》など、肖像画の分野では、安井のよき理解者であった人々のネットワークを介してモデルに恵まれ、彼らの内面やその生活までもが透けて見えるほどの作品を次々と発表。風景画では、《外房風景》や《承徳の喇嘛廟(らまびょう)》、あるいは上高地の風景など、日本や中国の風景をダイナミックに表現しました。静物画の分野でも、薔薇や果物といった素材を、それらが朽ち果てようと徹底的に観察し、カンヴァスに新たな世界を創造しました。
安井作品の魅力を短文で表そうとするならば、「骨格がしっかりとしていながら動きのある、いつまでも見飽きない絵」ということができるかもしれません。描かれたモチーフの角度や筆のタッチを少しでも変えてみたならば、途端にすべてのバランスが崩れてしまいそうな危険な感覚。肖像画にしても、《玉蟲先生像》や《孫》などは、あと一歩で漫画になりそうですが、この絶妙なバランス感覚が安井藝術の醍醐味といえるかもしれません。