奈良美智に見せられた、サイ・トゥンブリの画集がきっかけで、絵を描きはじめ、近代日本美術の古拙な陰影のようなものに憧れ、大学では日本画を専攻します。卒業後、1991年から96年まで、しばらく山奥で木をきり畑を耕す生活を送りますが、心の中に浮かぶイメージを描き出すことで、絵画の活路を見いだします。96年に小山登美夫ギャラリーで個展を行って以降、海外のギャラリーでの発表が相次いでいます。近年では、キャンバスにアクリルの技法にくわえ、写真や版画、奈良美智とのコラボレーションなど表現の幅を多彩に広げています。
彼の作品は彼曰く、「超具象」であり、基本的には見えるものしか描きません。
初期の作品の特徴には、大きな山や建築構成の一部分に炎があがっていたり、紙魚のような小さな飛行物体が走っていたり、我々のなじみの遠近感を覆す仕掛けがなされています。このような、距離感や視点の異なる、多層の世界をひとつの画面にまとめあげるという点で、彼は卓越した構成力を有しています。また、これらの作品は、牧歌的で一見平和そうな光景を表出しているのですが、柔らかに見える色面のなかに、どこか不穏な影のようなものが含まれており、それが作品にささやかな残酷さや儚さのようなものを喚起しています。
このように、夢の中の世界の影を探求するために、彼は制作し、それは脈絡もなく、起承転結もなく、絵画を描き続けることにより完結することなく続いていきます。カーテンで区切られた舞台のような空間に、椅子や木々がちりばめられていたり、幾何学的な構成に宇宙のような星空を重ねあわせたり、ひとつの作品のミクロの観点が、また次の作品世界とゆるやかに連関し、発展を続けていきます。このような彼の試みは、特定の文化や文明に起因することのない、人間が持つ古来の無意識の世界をもとめ、我々が現在忘れかけた感覚を呼び起こすものですが。ルネサンス古代より、我々の理性は遠近法で世界をとらえることを自明としてきたのですが、それは所詮ある目線から見た世界秩序のありようであり、そのようなあらゆる軛から感覚を自由に解放するということで、きわめて同時代的な問題意識を持っているといえましょう。
本展では、未発表の作品に加えて、画家自身が取り組んできたモノタイプの版画を公開いたします。また、展覧会初日には、作家描きおろし作品を15万本のチューリップを用いて表現する、インフィオラータ ェ庭園にあらわれます。表現媒体をこえ、きらめきつながっていく、いくつもの彼の世界をご覧ください。