伊勢神宮にお参りする「伊勢参宮」という言葉を聞けば、春を連想する方は多いと思います。実際、「伊勢参り」という言葉は、江戸時代から現代まで俳句の春の季語であるように、うららかな春は参宮のもっとも盛んな季節でした。たとえば、多くの村々では、この頃に伊勢講などで参拝が行われもしました。宣長が暮らす松坂の地は、参宮街道筋であるため、多くの参宮客が往来し、彼の師・賀茂真淵が松坂に来たのも、参宮の途中でした。このように、松坂が伊勢神宮やその門前町宇治・山田に近接し、多くの人や物、さらには情報などが行き交うため当時の松坂と伊勢との交流は非常に盛んでした。
宣長にとっても、伊勢の地は関わり深い地の一つでした。彼自身の直接の関わりは、青年期に伊勢神宮外宮の門前町である山田の妙見町にあった紙商・今井田家の養子になったことにはじまり、その後は、中川経雅や荒木田久老、菊屋末偶・蓬莱尚賢などに代表される伊勢の人々との学問的な交流が主となって関係深くなっていきます。特にこの地には、林崎文庫や豊宮崎文庫などの研究機関が多くあるため、もともと学問研究が盛んな土地柄でした。
さらに、宣長の学問を通じた人的な繋がりは後の春庭・大平の時代になっても、 継続・拡大し、それにつれ伊勢の地にも本居学派の国学が受容されていきます。そのため、伊勢の地は、単に参宮客を受け入れた一大観光都市という意味合いだけでなく、国学の形成と発展、さらには普及にとって欠かすことのできない 学問的な文化都市という側面も持っており、宣長の学問にも非常に大きな恩恵を与えていました。今回の企画展では、宣長を初めとした本居家と伊勢人との関わりを示す資料を中心に展示し、文化面などを通じて伊勢と松坂における交流の一端をご紹介致しますので、是非ご覧下さい。