「金太郎」「良寛和尚」など優しい画風で知られる小杉放菴(1881~1964)は、若い頃は未醒(みせい)と号したほど、酒好きで豪放磊落な洋画家でした。
日光で高橋由一の門人・五百城文哉に洋画を学びますが、青雲の志おさえ難く、18歳で上京、小山正太郎の画塾・不同舎に入ります。当時、世界的に流行したフランスの画家ピュヴィス・ド・シャヴァンヌを崇拝し、シャヴァンヌに似たフレスコ画の作風で、30歳には文展で連続して最高賞を得ました。この賞をきっかけにヨーロッパに遊学しますが、パリで江戸時代の文人画の巨匠・池大雅の画帖「十便帖」の複製に自分の“帰りゆくべき道”を発見してから、次第に日本画に傾倒してゆき、昭和期には放庵(後に放菴)の画号で日本画を専ら描くようになります。
洋画家としての名声をほしいままにしながらも、自分の理念にまっすぐな放菴の生き方は、日本画家・横山大観(1868~1958)をも惹き付けました。自らの画業模索の時期にあって、洋画に新境地をたのんだ大観。東洋の精神を愛した洋画家・放菴。運命的な出会いを果たした二人は、日本美術史に一大事件を起こしました。二人がたてた、日本画・洋画の区別なく研究する自由美術研究所の構想は、岡倉天心亡き後の再興日本美術院にそのまま受け継がれ、放菴を筆頭に日本美術院にはじめて洋画部門が出来たのでした。
歴史上では切り離せない二人ですが、二人の交流を描いた展覧会は何故かほとんどありませんでした。放庵と出光佐三の交友によって築かれた出光コレクションの放庵作品は、国内屈指の質・量であるだけでなく、放菴と大観が生きた激動の時代に集められたものでもあります。
洋画と日本画の心地よいハーモニー。共に「東洋」に憧れ、日本の自然を愛した二人の心のふれあいを、5つのテーマによってたどる展覧会です。