武者小路実篤は、明治18年(1885年)に生まれ昭和51年(1976年)に亡くなるまで90年の生涯で、多彩な業績を残しました。
文学では、明治43年に大正時代を代表する文芸雑誌『白樺』を志賀直哉、有島武郎らとともに創刊、今も読みつがれている小説「友情」「愛と死」や「人生論」などの代表作があり、人道主義、個性尊重の作家として知られます。
40歳ころから始めた書画の制作では、カボチャやジャガイモなどの野菜や花など自然が作った美を描こうと、90歳で亡くなる直前まで毎日欠かさず描き続け、友人の画家・岸田劉生をして「武者に絵はかけない」といわれるほどのところから、誰もが目にしたことのあるあの独自の作風を築き上げました。
また、身分制度があり教育を受ける機会も職業選択にも自由のなかった時代に、誰もが平等に人間らしく生活し、それぞれの個性を自由に生かして、争いのない、互いに尊重しあう社会を作ろうとよびかけ、大正7年に新しき村という共同体を創設しました。この新しき村は、実篤が亡くなって28年を過ぎた現在も、活動を続けています。
よく知られるこれらのほかにも、美術評論、演劇、思想など、幅広い分野で多くの業績を残しています。
その中で実篤は、常に、生命の美しさと不思議さを見つめ、生きること、自分が自分らしく、またすべての人が人間らしくあることを真剣に考え、語り続けてきました。
本年は特集テーマとして「ともだち」「家族」とのふれあいにも取り上げます。実篤は学生時代に志賀直哉と出会ってともに文学を志し、生涯の友となりました。二人の間で交わされた手紙や、志賀が実篤に贈った手作りの杖、実篤が病床の志賀に贈った書「直哉兄」(複製)などで、深い絆を築いた二人の交友をたどります。また、実篤は家族ととても親密でした。若い頃、大学を中退して文学者として歩み始めようとする実篤を励ましたのは、二歳年上の兄・公共でした。結婚し子どもを得てからは、子どもたちと一緒にふざけ、旅に出れば子どもたち一人一人に手紙を書きました。家族との心温まるエピソードを、手紙や安子夫人の日常スケッチなどでご紹介します。
会場ではこども向けの解説シートとパンフレットを無料配布いたします。