江戸の庶民に愛された浮世絵も、明治維新の後は大きく変容していきます。描かれる対象が変わった事はもちろん、画面には赤い色が目立つようになりました。西洋から安価な絵具が入ってきた事もあって、派手な赤が積極的に用いられたのです。
その安易な流れに乗らなかったのが、小林清親です。毒々しい色彩に頼らず、光と影の関係に徹底的にこだわった作品を「光線画」として制作。同時代の他の絵師とは全く異なる感性で、新しい都市の風景を描きました。
第一章「光線画」清親の代表作が《猫と提灯》。1877(明治10)年に開催された第一回内国勧業博覧会に出品された作品です。
網目模様を駆使して陰影を表現し、とても多色刷りの木版画とは思えないような出来ばえ。なんと35版摺りという手間がかかる工程を経て完成します。
内国勧業博覧会では出品物がいくつかのジャンルに分けられて展示されましたが、実は《猫と提灯》は「美術」ではなく「製造物」として出品されました。監修者である清親はもちろん、彫師、摺師の高い技術が結集した作品です。
《猫と提灯》大いに人気を博した「光線画」ですが、清親は1981(明治14)年頃からは風刺画や戯画に軸足を移していきます。
戯画入りの時局風刺雑誌などで活躍。清親はもともと幕府側の武士として鳥羽・伏見の戦いや上野戦争では官軍と戦っていたため、薩長が主導する明治政府を冷静に評価する目を持ち合わせていたのかもしれません。
日清戦争の戦争画も数多く手がけた清親。沈みゆく敵艦、水中には辮髪の船員と、ドラマチックな表現も必見です。
第二章「風刺画・風俗画」清親イコール「光線画を描いた最後の浮世絵師」というイメージが強いですが、本展には肉筆画やスケッチも多数出展。清親が誰に絵を習ったのか実ははっきりしていませんが、極めて高い技術を持ち合わせていました。
会場には水彩の風景画のほか、日本で初めてのライオンの絵(竹内栖鳳より早いです)も。おぼろ月は、光線画時代からの得意の技法が生きています。
本展で約20年ぶりに公開される写生帖にも、実に達者なスケッチが残されています。
第三章「肉筆画・スケッチ」水面に映る灯りや、雲の重なりなど、繊細な表現を得意とした清親。実は本人は180cmを超える大柄で、絵描きになる前は剣術興行団に加わった事もあったというエピソードは、ちょっと意外に思えました。
静岡市美術館からの巡回展。
練馬区立美術館が最後の会場となります。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年4月14日 ]■練馬区立美術館 小林清親展 に関するツイート