桑山を背にして、木々の香りや鳥のさえずりに包まれる福光美術館。棟方志功が、富山で過ごして頃に描いた作品を豊富に収蔵しています。館内に入るとガラス越しに見える庭園や池が目を和ませてくれます。季節ごとに展示替えを行い常設展示しているので、いつでも棟方と出会える場所です。

南砺市福光美術館 エントランス
展示室の作品キャプションはタイトルと年代のみの構成です。解説は入口の作品目録で紹介しています。まず自由に作品と向き合い、想像を膨らませてみてはいかがでしょう?
鑑賞後、持ち帰った目録で余韻を深めることもできます。今回は、棟方の特徴的な人体表現に注目して展示を巡りました。

作品目録の棚 展示室の奥には《二菩薩釈迦十大弟子》
戦火をくぐりぬけた代表作
展示室に入ると一番奥で存在感を放つ《二菩薩釈迦十大弟子》。棟方志功の代表作で福光にもゆかりある作品です。左右両端の二菩薩と十大弟子は、よく見ると印象が違います。昭和14年、戦前に六曲一双屏風として制作されたあと、稀有な歩みをたどりました。

二菩薩釈迦十大弟子 十大弟子1939年(昭和14年)刻 二菩薩1948年(昭和23年)刻
戦況の悪化により棟方一家は福光に疎開します。版木は東京に置いたままでした。妻のチヤは一人で戻り機転をきかせ十大弟子の版木を福光に送ることに成功。しかし二菩薩の版木は空襲で焼失してしまいます。
疎開後、菩薩は彫り直され、やや細い繊細な線で姿を現しました。そして1960年ヴェネツィア・ヴィエンナーレで日本人初のグランプリを受賞し「世界のムナカタ」が誕生しました。
十大弟子の顔や背の部分が直線的で、デザイン的な効果を狙ったように見えます。自然から得た貴重な版木を生かし、板を目いっぱい使った作品です。

二菩薩釈迦十大弟子 十大弟子1939年(昭和14年)刻 部分
白と黒、彩色へ変化
ベートーベンを好んだ棟方は、第九の「歓喜」の世界を表現しました。さまざまなポーズの裸婦像を黒で掘りだし、裸婦の周囲は丸刀一本で全画面を装飾的な文様で埋め尽くしています。

歓喜頌 1953年(昭和28年)/板画 (左の柵)
こちらは画面いっぱいあふれそうな黒い人体を線で掘り出し、体に彫り込みを加えました。背景の模様と一体化して溶け合っているようです。
さらに青は未明の空、茜色は夕刻の空を表し、裏から色をしみ込ませる裏彩色を施しました。経典の「東涌西没」の言葉からインスピレーションを受けた作品です。

東湧西没の柵 左:「西没の柵」 右:「東湧の柵」 共に1951年(昭和26年)/板画)
棟方の版画は白から黒へ、そして裏彩色で深い色を加え版画の世界に革新をもたらしました。この自画像は多色刷りで油絵を思わせる珍しい作品です。

ミシシッピー河の自板像の柵 1965年(昭和40年)/板画
風土とともに
棟方を世界に飛躍させた福光の自然や人々の深い信仰、温かさは今も息づいています。東京に戻った妻に「早く帰れ」と手紙を送ったポストもありました。

棟方志功が日に何枚も手紙を出していたポスト。郵便局員やポストに最敬礼をしていました。
棟方が名付けた「だまし川」は遊歩道が整備され散策もできます。約7年間の滞在で「他力」に気づき劇的変化をとげた作品。棟方が吸った空気の中での鑑賞は、その土地だけが持つ見えない力が共鳴し歓喜の歌が聞こえてくるようでした。

だまし川:棟方が大好きだった川。河童が現れだます伝説から名付けた。瞞着(だまし)川版画巻から13枚の石板が設置
[ 取材・撮影・文:コロコロ / 2025年7月24日 ]