世界中の美術ファンに愛されるフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)。その作品はどのようにして今日まで伝えられてきたのでしょうか。
画家を支えた弟テオ、その妻ヨー、そして息子フィンセント・ウィレムの歩みをたどりながら、ゴッホの夢と作品がどのように守られ、後世へと引き継がれてきたのかを紹介する展覧会が、東京都美術館で開催されています。

東京都美術館「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」会場入口
フィンセントの死後、弟テオが作品を受け継ぎ、兄の評価を高めようと尽力しました。妻ヨーは膨大な作品と手紙を整理し、展覧会や出版を通して広めています。さらに、息子フィンセント・ウィレムはコレクションの散逸を防ぐため財団を設立しました。
1960年代には財団の尽力でコレクションが守られ、1973年にはアムステルダムにファン・ゴッホ美術館が開館。こうして家族3人の働きが、画家の夢を今日へと伝える基盤となったのです。

第1章「ファン・ゴッホ家のコレクションからファン・ゴッホ美術館へ」
兄弟は若い頃から版画や雑誌の挿絵に親しみ、互いに作品を贈り合っていました。フィンセントはとりわけ挿絵から強い影響を受け、芸術観を形づくっていきます。
パリ時代には仲間の作品と交換し、浮世絵も積極的に収集しました。これらの品々は、同時代の美術動向やフィンセントの関心を示す貴重な証しとなっています。

第2章「フィンセントとテオ、ファン・ゴッホ兄弟のコレクション」 (左)ジョン・ピーター・ラッセル《フィンセント・ファン・ゴッホの肖像》1886年 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
27歳で画家を志したフィンセントは、素描と油彩を経てパリで新しい表現を学び、南仏アルルやサン=レミで独自の様式を確立しました。短い生涯の最後まで挑戦を続けています。
わずか10年間で膨大な作品を残し、家族に受け継がれた絵画200点以上、素描・版画500点以上は、現在ファン・ゴッホ美術館に収蔵されています。これは世界最大のコレクションです。

第3章「フィンセント・ファン・ゴッホの絵画と素描」 (左)フィンセント・ファン・ゴッホ《グラジオラスとエゾギクを生けた花瓶》1886年8-9月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
この章ではファン・ゴッホの力強い油彩画が並びます。なかでも注目は《画家としての自画像》。義妹ヨーは「当時の姿に最もよく似ている」と語りましたが、本人は「生気がなく物悲しい顔」と記しており、両者の捉え方の違いが印象的です。
パリ時代の集大成ともいえる本作では、補色を生かした鮮烈な色彩と筆致が際立っています。

フィンセント・ファン・ゴッホ 《画家としての自画像》1887年12月-1888年2月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
1888年5月末、ゴッホは地中海を描こうとアルル近郊の漁村を訪れ、わずか1週間足らずで多くの素描と油彩を制作しました。船の複雑な線を短時間で捉えられたことを、弟テオに誇らしげに伝えています。
《浜辺の漁船、サント=マリー=ド=ラ=メールにて》の大胆な遠近法や、色面を重視した描写には浮世絵の影響が明確に表れています。

フィンセント・ファン・ゴッホ《浜辺の漁船、サント=マリー=ド=ラ=メールにて》1888年6月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
《オリーブ園》は、オリーブの木々のさまざまな表情を捉えようと、ゴッホが「寒いけれど美しく澄んだ日差しで明るいこの時期の朝夕に」描いた作品です。
リズミカルな筆触による様式化された表現が試みられ、テオ宛ての手紙には「田舎らしさを感じさせ、大地の香りがする作品になるはずだ」との言葉が残されています。

フィンセント・ファン・ゴッホ《オリーブ園》1889年11月 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
美術に詳しくなかったヨーは、パリでの生活を通して知識を深め、夫の死後には大量の作品を管理しました。展覧会への貸出や売却を通じてフィンセントの評価を高めます。
会計簿には170点以上の絵画と44点の紙作品の売却が記録されており、これは生計のためだけでなく、画家の名声を確立する戦略的な行動でもありました。

第4章「ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルが売却した絵画」 (右)フィンセント・ファン・ゴッホ《モンマルトルの菜園》1887年 アムステルダム市立美術館 Collection Stedelijk Museum Amsterdam, gift of the Association for the Formation of a Public Collection of Contemporary Art in Amsterdam (VVHK), 1949
1973年に開館したファン・ゴッホ美術館は、財団コレクションを基盤に発展しました。1980〜90年代にはバルビゾン派や象徴主義の作品を加え、版画やポスターなど紙作品も積極的に収集。近年は宝くじ収益を活用して印象派やポスト印象派の重要作を獲得し、世界屈指のコレクションへと成長しています。
本展では日本初公開となる4通の手紙も注目です。ゴッホとアントン・ファン・ラッパルトは1880年に出会い、5年間にわたり親交を深めました。彼に宛てた58通の手紙には新聞挿絵や芸術論が記され、画家の思考や芸術観を知る重要な手がかりとなっています。

第5章「コレクションの充実 作品収集」 フィンセント・ファン・ゴッホ「傘を持つ老人の後ろ姿が描かれたアントン・ファン・ラッパルト宛ての手紙」1882年9月23日頃 ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
展覧会の最後は「イマーシブ・コーナー」です。ファン・ゴッホ美術館所蔵の《カラスの飛ぶ麦畑》や《花咲くアーモンドの木の枝》などは出品されませんが、高精細画像を用いた没入型デジタルアートとして体験できます。
代表作《ひまわり》はSOMPO美術館が最新技術で3DCG化。高さ4m、横幅14mのイマーシブ空間で、大胆な視点から作品を楽しめます。

「イマーシブ・コーナー」
ゴッホの鮮烈な作品世界と、それを未来へとつないだ家族の物語。絵画ファンはもちろん、ゴッホを初めて知る人にも強く心に残る展覧会です。ぜひ会場で、家族によって守られた「画家の夢」に触れてみてください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2025年9月11日 ]