中世から二十世紀前半までの西洋美術のみを収蔵/保存/展示している国立西洋美術館には、いわゆる「現代美術」は存在しません。そこは基本的に、すでに死者となって久しい遠き異邦の芸術家らが残した産物が集っている空間です。この展覧会ではしかし、そんな国立西洋美術館へと、こんにちの日本に生きる実験的なアーティストたちの作品群 ― 故人のものも含みますが ― をはじめて大々的に招き入れます。
一九五九 (昭和34)年に開館した国立西洋美術館の母体となった松方コレクションを築いた松方幸次郎は、みずからが西洋において集めた絵画などが、未来の芸術家の制作活動に資することを望んでいたといえます。また、戦後に国立西洋美術館の創設に協力した当時の美術家連盟会長、安井曾太郎のような画家も、松方コレクションの「恩恵を受ける」のは誰よりも自分たちアーティストであるとの想いを表明していました。これらの記憶を紐解くなら、国立西洋美術館はじつのところ、未知なる未来を切り拓くアーティストたちに刺戟を与えるという可能性を託されながらに建ったと考えることができます。けれども、この美術館がじっさいにそうした場たりえてきたのかどうかは、いまだ問われていません。それゆえ本展をもって、国立西洋美術館やそのコレクションが、生きているアーティストをいかに触発しうるかを検証したく思います。そのことをつうじて、きっとさまざまな問題が炙りだされるでしょう。国立西洋美術館にたいし、批判的な応答をしてくれるアーティストもいるはずだからです。
「展示室は未来の世界が眠る部屋である」と書き、さらに「未来の世界の〔…〕芸術家は、ここに生まれ育ち ― ここで自己形成し、この世界のために生きる」と記したのは、ドイツの作家ノヴァーリスです。それはヨーロッパに「美術館」と呼ばれる制度が本格的に成立した時期とも重なる、十八世紀末のことでした。本展はノヴァーリスのその言葉を受けとめつつはたして「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」と、問います。
それは国立西洋美術館の自間であると同時に、参加アーティストたちへの問いかけです。そして、展示室を訪れてくださるみなさんとともに考えたい問いにほかなりません。