一般的に日本建築史学の開拓者として知られている伊東忠太は、明治26年に発表した「法隆寺建築論」で日本古代の建物を世界的な視野の中に位置づけ、その後の「日本建築史」の基礎を築いた学者であり、歴史に名を残す建築家です。平安神宮、太閤閣、祇園閣など、彼の手がけた建造物は建築関係者のみならず、多くの人々に畏敬の念を持って受け入れられています。今回の回顧展では、日本建築界における忠太の多大な功績が余すことなく抽出されます。また、幼少時「地理」を得意とし、その後画家を志していたこともある忠太は、10代の頃に描いた美人画の他、風刺画の漫画はがきや妖怪画などを数多く残しています。想像力豊かな人物であった彼は妖怪の世界に惹かれ、加えて、世情を風刺するというユーモアのセンスにも長けていたのです。地理や博物学に対する興味の深さは、中年期、3年3ヶ月もの年月をかけて旅した世界歴訪が本来の目的であった建築学研究のみにとどまらなかったということからもうかがえ、緻密な作風の絵画からは芸術ともいえる彼の建築作品に通じるものを感じ取ることができます。
KPOキリンプラザ大阪では、そんな彼の類まれな多才ぶりにもスポットをあて、鬼才・伊東忠太の世界を浮き彫りにします。