1900年、福岡県田川郡糸田町に生まれた境野は、福岡師範学校を卒業した翌年に満州で教職に就きますが、研究派遣により東京の川端画学校の校外研究生になるなど、外地にいながらも精力的に制作に取り組みました。
1953年に教職を辞し、東京で4年間を過ごした後、再び満州へ戻った境野は満州電電会社に勤務し、ここで終戦を迎えました。青年期から壮年期を過ごした満州での生活は、境野の人間形成に大きな影響を与え、画題としても多く取り上げられています。1947年に熊本市で教職に就いた境野は、坂本善三、三浦洋一らと交流を持ち、第2次海老原美術研究所の指導員を経て1960年に同研究所の所長になりました。1964年の渡欧では、パリを拠点にスペイン、ドイツなどを旅行し、多くの風景画を残しています。熊本美術界の発展に尽力し、1989年に死去するまで独特の世界観で抒情詩的な絵画を描き続けた境野の作品の多くは、ご遺族からのご寄贈により本館に収蔵されています。本展ではご遺族からご寄贈いただいた作品を中心に、つなぎ美術館が所蔵する境野一之の絵画約40点をご紹介します。