鬱蒼と繁る木々の下を歩きながらふと頭上を見上げると、枝の間から射し込む思いがけず強い光に目が眩む ─ その瞬間、周囲のものはかたちを失い、ぼんやりとした輪郭と光の輪のみのおだやかな世界が目の奥に広がる。何年か前に山川勝彦の作品を都内の画廊で初めて目にしたとき、久しく忘れていた自然の中での体験が鮮やかに思い出されました。高層ビルのガラスに反射する容赦ない都会の光線とも、夜の繁華街を真昼のように照らすネオンの洪水とも違う、豊かで恵みに満ちた陽の光。生物が生きていく上でかけがえのないものでありながら、それが照らし出す種々多様なものに目を奪われがちなため、私たちの意識が光そのものに向かうことは少ないのではないでしょうか。
2004年までに制作された作品群に見られる、アウトフォーカスによって顕在化された光は、画面の外からもたらされたものであり、山川は与えられた光を描いてきたといってよいでしょう。しかし、昨年そして今年の新作においては、画面が重層化し奥行きが与えられるようになって、それまで白のメディウムで描かれていた光の粒は、面積を増やして画面空間の奥でさらにやわらかく、強く、明るく、自ら発光するかのようです。これは現在を照らす光ではなく、いわば求めて近づく対象である未来的な光、言い換えれば希望です。画面手前に、昨年の作品では幾何学的な、新作ではよりラフな筆遣いで描かれるモチーフが挿入され、作品を前にする者と光との間に距離が示されるようになりました。しかし山川はそれをネガティヴな隔たりとして描いているわけではありません。希望に導かれながら、自分自身と、他者と向き合い、繋がりながら進むその道のりは豊かなものだからです。求めるべき光を自ら絵画の中に生み出した山川が、どのように光と向き合い、どのように描いていくのか、今後の探求に期待が高まります。