“カリフォルニア派”写真家の代表的な一人として知られ、森や海などの自然を捉えたリリカルな作品で知られるウィン・バロック。自然を多く被写体にしたと同時に自然のなかに少女や女性のヌードを配したイメージも多く残しています。なかでも人々に強く印象づけた作品が「森の中の子供」(Child in Forest, 1951年)でした。深い森の柔らかな光を浴びて、地中から静かに涌き出す清らかな水のように横たわる少女─。バロックは「森に人物を配置することは、互いに異なる事象、人間の事象と自然の事象をおくことになるが、人間の事象もまた結局は自然である」と語り、自然の底知れぬ神秘をめざした考え方を、極めてシンプルな写真表現にて実現しています。
ウィン・バロックは、1902年シカゴに生まれました。コロンビア大学、ウエスト・ヴァージニア大学にて音楽を学び、プロのテノール歌手としてブロードウェイで4年間活躍した後、パリ、ミラノ、ベルリンに留学、3年を過ごしました。パリでは、印象派、後期印象派絵画の光と色の美しさに刺激を受けます。また、カメラを購入し、自分で写真を撮って焼くようになります。
パリの舞台デビューは好評を得ながらも、声に限界を感じ始めたバロックは、1930年ヨーロッパから帰国しました。折しもアメリカは大恐慌。ウエスト・ヴァージニアで家の不動産管理の仕事につきますが、写真は趣味で続けていました。この頃、言語の記号的性質を追求する意味論哲学者、アルフレッド・コージブスキーの影響も受けています。やがて、不動産の仕事で立て直し、カリフォルニアに向かいます。判事であった母親の影響もあって法律を学びますが続かず、マン・レイやハンガリー出身の造形作家モホリ=ナギらの写真にふれて視覚芸術に興味を持ちます。写真家になる決意をし、1938年ロサンゼルスのアート・センター・スクールに入学。絵画の影響を強く受けていたこともあり、ストレートな写真よりも技術的な実験を多く行い、なかでもソラリゼーションには特に興味を持ち、のちに特許も取得しています。1941年に卒業、すぐに商業写真で生活を始めます。1948年、エドワード・ウエストンに出会い、決定的な影響を受けると、それまでの実験的な作品をやめ、ストレートな写真を撮るようになります。8×10インチの大型カメラでの撮影を始めますが、そのプリントは比類ない美しさで、イメージの深い象徴性を支えています。バロック�1975年、73歳でその生涯を終えるまで、撮影と同時に作品を支える自身のものの見方、捉え方について書き続けました。作品を支えるそれらの言葉もあわせて展示いたします。