来年の干支は己丑(=牛)。人間と牛との交流は古く、わが国で農作業に牛を用いるようになったのは、弥生時代のことといわれています。以来、牛は農耕に欠かせない動物でした。それだけでなく、乳や肉、皮などは食物として、生活用品の素材として人間の生活に欠くべからざるものであり、非常に大切にされてきました。
人間との結び付きが強かった牛が、各地で玩具化されたのは当然であり、車を付けて引いて遊ぶもの、首振りの動作を楽しむもの、闘牛を真似て遊ぶ木牛なども作られました。
牛はかつては輸送の手段としても活躍していたことは、牛の背に米俵や千両箱をのせた玩具に伺えますが、農耕神の使いとして信仰される牛に、米俵や千両箱という豊かさのシンボルを組み合わせて、農作への願いを込めたと考えられます。
牛が草を食うことから、子どもの身体の瘡(くさ=できもの)を食ってくれるとして、小さな土牛を社寺に奉納する風習がかつては各地にあり、今も数多くの奉納品が残されています。
また、牛は「天神」との結び付きによっても知られています。天神とは、もともと雷神、天候を司る神、農耕の神として人々の信仰を集めていました。それが、菅原道真の怨霊を鎮める社として、後には秀才であった道真の業績にちなみ、学問や芸能の神として幅広く信仰を獲得するに至ります。
農耕に必要な雨を呼ぶ雷神と天神(道真)は結び付き、農耕神の使いと考えられてきた牛と組み合わされて、豊かな実りを象徴する図像となりました。また、菅原道真の生涯は、牛との結び付が深く、「牛のり天神」像は、絵画や彫刻ばかりか、郷土の土人形や張子人形となって、日本各地で愛されてきました。