明治末期に、後に画家となる二人の女児が生まれました。静岡県生まれの秋野不矩(本名ふく、1908-2001)と長野県生まれの荘司福(1910-2002)です。両画家の生きた年はほぼ重なり、時代環境を同じくする中で二人とも「日本画」の道を選び、戦後の洋画吸収の時期を経て、生涯にわたり新しい日本画の表現を問いました。
秋野不矩は京都の画塾・青甲社で本格的に日本画を学び、早くから官展に出品して頭角を現します。戦後の1948年(昭和23)年に創造美術(現・創画会)の創立に参加すると、「世界に通用する日本絵画の創造」という会の目標を自らの目標となし、西洋画の技法も積極的に取り込みながら、人物画を通じて時代にふさわしい表現を模索しました。1962(昭和37)年、54歳でビスバ-バラティ大学(現・タゴール国際大学)客員教授としてインドに1年間滞在すると、時空ともに人間のスケールを超えた世界を感受し、以後はインドを主要テーマに据えて、むき出しの自然や、そこに生きる人々、寺院や廃墟、神々を描きました。
荘司福は女子美術専門学校(現・女子美術大学)を卒業後、結婚を機に仙台に居住し、約9年間のブランクを経て、自分と病気の我が子を救う思いで絵を再開します。戦後の1946(昭和21)年には日本美術院研究会会員になると共に、郷倉千靭の画塾・草樹社で研鑽を積み、西洋画に触れる中で時代感覚に合う内容と造形性を持つ日本画を探し求めました。1960年代半ば頃からは、イタコや古仏など東北の精神文化を描き、密教仏へと興味を広げて、平面の中に無限に連なる精神性の深みを込めた作風を確立します。1960年代後半からは中国やインド、ネパール、カンボジア、さらにはエジプト等への取材旅行からも着想を得て制作し、1980年代に入ると、木や石などをモチーフとして、描く対象が経てきた時間を敏感に感受した作品を描きました。晩年には、日本各地の野山を訪ねる中で、自然の在りように添う静かで深みのある風景を描きました。
本展では、両画家の時間の表現に注目しつつ、代表作を含め36点の作品を紹介します。二人の「ふく」さんの共演をご堪能ください。