フランス語で「良き時代」を示す、19世紀末~20世紀初頭のベル・エポック。フランスから世界に羽ばたいた女優に、サラ・ベルナールがいます。本展では、サラの役者としての功績や、その後の活動、ゆかりの人々を紹介していきます。
19世紀は、写真の技術が著しく進歩した時代。サラの姿も多くの写真に残されています。第1章では、写真のほかに、実際に舞台で使用した衣装や宝飾品、調髪道具セットを展示。女優としてのサラを紹介します。
フランスの国立音楽演劇学校を卒業後、舞台女優として活動をはじめたサラ。ライバルの有名女優がいる中、舞台「リュイ・ブラース」のヒロインを演じ、脚光を浴びます。その後、劇団を結成し、アメリカ、ヨーロッパ諸国でも活動をはじめます。
人々の注目を浴びる手段として、サラは自分の人生を演出したと言われています。新聞や広告、街頭ポスターでも、サラの作り出す空想的な世界観を表現。当時の社会や美術様式に大きく影響を与えることとなります。
第2章は、サラの庇護を受けて活躍した、アーティストの作品を展示。その一人が、日本でもファンの多い、アルフォンス・ミュシャです。当時無名だったミュシャは、サラの主演舞台「ジスモンダ」のポスターを制作。これがきっかけとなり、一躍人気を博します。
ルネ・ラリックもまた、サラによって見出されました。プライベートや舞台上でのサラの装飾品を制作したことで、モダン・ジュエリー作家として名声を確立。そんな二人がデザイン・制作を行ったユリの冠をつけた姿は、サラの代表的なイメージとなりました。
カラー・リトグラフの技術が発達して、ポスター芸術が花開いた19世紀。第3章では、サラが活躍した時代にパリを彩っていたポスターを中心に展示しています。併せて、ラリックによる香水瓶や装飾品も楽しむことができます。
第4章では、プロデューサーとしても多彩な才能を発揮したサラの姿が見られます。サラは、劇団を立ち上げ、監督、俳優としても活躍。商品の広告塔となることもありました。おしろいやアプサント酒、万年筆などのポスターに登場。
また、アーティストとしての才能も開花していきます。アトリエにこもり、彫刻や絵画作品も制作。サロンに出展した経験もあります。
そんな華々しい活動の一方で、サラの言動やアイデンティティは、風刺画家たちの標的にもなります。ユダヤ人の特徴である鷲鼻を揶揄した風刺画が描かれるようにも。メディアを大いに活用しながらも、「メディアに苦しめられた」と語るほどでした。
常にあらゆる注目を浴びてきたサラ・ベルナール。彼女の栄光をたたえるため、1896年には「サラ・ベルナールの日」というイベントも開催されています。ラリック作のメダルやミュシャデザインのメニューなど、芸術家それぞれがサラの祝祭に作品を捧げました。
2018年より全国で巡回してきた「サラ・ベルナールの世界」も本展が最後の会場です。
[ 取材・撮影・文:坂入美彩子 / 2019年12月6日 ]