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レポート
落合芳幾
太田記念美術館 | 東京都
忘れられた、芳年のライバル
落合芳幾(おちあいよしいく:1833-1904)。この名前を聞いてすぐわかる方は、かなりの浮世絵通でしょう。近年、同世代の浮世絵師に注目が集まる中、月岡芳年のライバルだった芳幾は、やや影が薄くなってしまいました。その全容を100点超で振り返る展覧会が、太田記念美術館で開催中です。
落合芳幾《忠臣雪ノ仇討》文久元年(1861)2月
(左から)落合芳幾《猛虎之写真》万延元年(1860)7月 / 落合芳幾《五カ国於岩亀桜酒盛の図》万延元年(1860)12月
(左から)落合芳幾《見立似たかきん魚》文久3年(1863)6月 / 落合芳幾《見立似たかきん魚》文久3年(1863)6月
落合芳幾《マケロマケヌ 売買大合戦》文久元年(1863)正月
(左から)落合芳幾《真写月花の姿絵 三代目沢村田之助》慶応3年(1867)3月 / 落合芳幾《真写月華之姿絵 三代目関三十郎》慶応3年(1867)3月
落合芳幾《時世粧年中行事之内 一陽来復花姿湯》明治元年(1868)9月
(左から)落合芳幾《東京日々新聞 四百三十一号》明治7~8年(1874~75)頃 千葉市美術館蔵 / 落合芳幾《東京日々新聞 四百四十五号》明治7年(1874)9月 千葉市美術館蔵
(左から)落合芳幾《日本演劇 川上と貞奴》明治34年(1901)5月 / 落合芳幾《日本演劇 川上と貞奴》明治34年(1901)5月
「忘れられた浮世絵師」を再発掘する展覧会を、時おり開く太田記念美術館。この項でも歌川広景水野年方の展覧会をご紹介した事があります。

今回のターゲットは、幕末から明治にかけて活躍した落合芳幾。同時代の浮世絵師といえば、河鍋暁斎(3歳上)、月岡芳年(6歳下)、小林清親(14歳下)らが展覧会で人気を集める中、芳幾がやや遅れを取っている感は否めません。

本展では最初期から明治30年代の作品まで、芳幾の画業を通覧して紹介。当初は80点程度の予定でしたが、遥かに超えて、100点超のボリュームになりました。

芳幾は歌川国芳の門下生で、芳年は弟弟子。幕末までは、芳幾の方が芳年より人気がありました。「英名二十八衆句」は芳幾と芳年による競演で、歌舞伎や講談に登場する殺害場面を14点ずつ制作。芳幾を代表する作品です。

他にも武者絵、戯画、相撲絵、役者絵、美人画など、数多くのジャンルを手掛けた芳幾。芳年が描かなかった横浜絵も、芳幾は作っています。



他の浮世絵師と大きく異なるのが、実業家としての活動。芳幾は明治5年(1872)、山々亭有人や西田伝助とともに「東京日日新聞」(毎日新聞の前身)を創刊。浮世絵師の将来が読めない中、新しい路線にいったん舵を切ったのです。

文字ばかりの東京日日新聞から事件を拾い出し、絵画化した新聞錦絵もスタート。芳年も新聞錦絵を手掛けるなど、芳幾を意識するような動きをみせています。

実は、芳年は芳幾の事をあまり良く思っていなかったようで、新聞で成功した芳幾を批判する言葉も残しています。さかのぼると、師・国芳の葬儀の席で、芳幾は芳年を蹴飛ばした事があり(原因はささいな事でした)、それを恨んでいたのかもしれません。

晩年は不遇で、借金取りに追われる事もあった芳幾。明治23年(1890)以降、再び錦絵を手掛けるようになります。ただ、時代が変わったにも関わらず、さほど新しさを感じる作品が無いのも事実。この点は、芳年との差といえそうです。

本展を機に芳幾の再評価が進む事も期待したいと思いますが、おそらく芳幾単独の展覧会は、今後もなかなか開かれないと思います。会期は短めで、僅か3週間強です。お見逃しなく。

[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2018年8月2日 ]


 
会場
会期
2018年8月3日(金)~8月26日(日)
会期終了
開館時間
10:30~17:30(入館17:00まで)
休館日
月曜日
住所
東京都渋谷区神宮前1-10-10
電話 03-5777-8600
公式サイト http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/
料金
一般 700円 / 大高生 500円 / 中学生以下 無料

※10名以上の団体は1名あたり100円引
展覧会詳細 落合芳幾 詳細情報
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