1954年に兵庫県芦屋市で結成された具体美術協会(具体)。戦後の日本美術で異彩を放ったこの美術グループは、今では“GUTAI”として国際的にも高い評価を受けています。
質・量ともに世界最高水準の具体コレクションを誇る兵庫県立美術館。開催中の同展では、コレクション形成の歩みにも着目した構成です。
「今こそGUTAI展」会場 (右手前)松谷武判《Work '65》年 他
兵庫県立近代美術館(近美)として1970年に開館した兵庫県立美術館。前身の近美時代から、同時代の美術の動向を意識した活動を行っています。
展覧会の第1章は「最初期の収集 郷土ゆかりの美術として」。兵庫県立近代美術館は、県政100年記念事業の一環として開館しました。当時の収集の柱は「版画」「彫刻」「郷土ゆかりの美術」で、具体は「郷土ゆかりの美術」という位置付け。冒頭に並ぶ吉原治良、元永定正、白髪一雄の作品は、いずれも1970年代に収集されたものです。
(左から)吉原治良《黒地に赤い円》1965年 / 元永定正《作品(赤・黒)》1970年 / 白髪一雄《天寿星混江竜(水滸伝豪傑の内)》1965年
同展のみどころといえるのが、第2章「女性作家のめざましい活躍」。具体には女性作家も含めて、多くの美術家が参加しました。この章では兵庫県美術館が所蔵する具体の女性メンバーの作品、全点が紹介されています。
具体の女性メンバーとしてまず名前があがるのは、田中敦子でしょう。田中は京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)に入学しますが、1年も経たずに退学。大阪市立美術館付設美術研究所で学びました。金山明や白髪一雄らと「0会」に参加し、メンバーとともに具体に合流しました。
展覧会のメインビジュアルでもある以下の作品も、田中敦子によるもの。円や線が並ぶ作品は、電球を組み合わせた田中の代表作《電気服》にも通じます。
田中敦子《無題》1956-57年
白髪富士子は、白髪一雄の妻です。一雄と結婚後に制作をはじめ、主に紙を素材に平面を制作しました。夫のダイナミックな作風とは対照的に、やさしいイメージがする作品です。同展では特別出品として、個人蔵の白髪富士子作品も展示されています。
(左から)白髪富士子《無題》1957年頃 / 白髪富士子《無題》1957年頃 ともに個人蔵
座布団が並ぶような作品を手掛けたのは、森内敬子。大阪樟蔭女子大学在学中から美術部を拠点に前衛的な活動を展開し、1968年に具体の会員になりました。森内は現在でも独自の創作活動を続けています。
森内敬子《作品》1968/2004年
第3章は「現代美術 ― 山村德太郎氏と近美の並走」。山村德太郎氏の存在を抜きにして、兵庫県立美術館の具体コレクションを語る事はできません。
西宮市在住の山村德太郎氏は、企業家で美術コレクター。1980年代に具体の作品をヨーロッパから買い戻すなど、集中的に収集しました。
兵庫近美でも同時期に具体の作品を活発に収集。山村氏の没後、そのコレクションはまとまって兵庫近美に収蔵されたため、兵庫近美の具体コレクションは一気に規模が大きくなったのです。
(左から)正延正俊《作品》1961年 / 鷲見康夫《作品H》1960年
嶋本昭三《この上を歩いて下さい》1956/1984年
最後の第4章は「多角的な理解に向けて 県美のGUTAIコレクション」。具体コレクションが充実した事もあり、兵庫近美の収集方針に「現代美術」が加わりました。
美術館は2002年に現在の場所に移転し、名称も兵庫県立美術館に変更。2004年の「『具体』回顧展」の後には、グループの後半期に加入した作家たちの作品を集中的に収集しています。これは、1954年から1972年まで18年間に及ぶ具体の18年間の活動全体を俯瞰し、多角的な理解につなげる試みです。
喜谷繁暉《トルソ6》1965年 / 田井智《WORK》1967年
高崎元尚《装置》1966/2003年
グループ解散から約半世紀になる具体ですが、昨年は東京で初めて白髪一雄の大規模展が開催されるなど、なお大きな注目を集めています。
「人のまねをするな!」は、グループを率いた吉原治良の言葉。その言葉にたがわぬ多彩な表現をお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2020年12月4日 ]