東大寺二月堂で毎年3月1日から14日間行われる「お水取り」。
奈良国立博物館では、毎年この時季にあわせて「お水取り」展が開催されています。
春の訪れを告げると言われる「お水取り」。でもこの日はとても寒く、春まだ遠い一日となりました。
奈良博のシンボル 片山東熊設計の仏像館
キンと冷え切った朝の奈良公園。明治中期の代表的な西洋建築「仏像館」を眺めながら、会場となる博物館東館に到着。入口の「奈良国立博物館」の題字は、聖武天皇筆「雑集」から集字したものだそうです。
「お水取り」展は「国宝 聖林寺十一面観音―三輪山信仰のみほとけ」展と同時開催となっています。
奈良国立博物館入口
「お水取り」の正式な名称は「修二会」。若狭井から香水を汲み、本尊に供えることから「お水取り」とも呼ばれ、修二会を勤める練行衆が大きな松明を持って二月堂の舞台を走る「お松明」でも知られています。
本展では実際に用いる法具や古文書の展示を通して、1270年にわたって勤め続けられてきた修二会への理解を深める内容となっています。
会場看板
人々の日々のさまざまな過ちを二月堂本尊の十一面観音に懺悔する「十一面悔過」、それを行うのが「修二会」。練行衆と呼ばれる選ばれた僧侶たちが世の中の罪を背負い、人々に代わって苦行を引き受け、あわせて天下安穏を祈願する法要です。「お水取り」や「お松明」はその一部です。
東大寺には古くから伝わる絵画には、二月堂本尊「十一面観音」の姿が描かれているものもあります。
左から 二月堂曼荼羅(16世紀) 十一面観音像(13世紀) 東大寺縁起(16世紀)
修二会の創始と本尊十一面観音の霊験を描いた「二月堂縁起」は室町時代の作。
鮮やかな色遣いがとても美しい絵巻です。
二月堂縁起
画面下の岩から香水が湧き出た場面。この香水を汲むのが「お水取り」
絶対秘仏の二月堂・十一面観音(小観音)が描かれている鎌倉時代の図像集。
秘仏を目にする機会があって、描き留めたのでしょうか。
類秘抄(十一面巻) 奈良国立博物館蔵 鎌倉時代 1220年
奈良時代に書写された華厳経。江戸時代に二月堂で火災があり、焼け跡から見つかったもの。紺紙金泥が美しい経巻です。
華厳経(二月堂焼経) 奈良国立博物館蔵 奈良時代 8世紀
修二会が執り行われる二月堂内の大きなパネルが展示されていました。
館内にはどこからともなく僧侶の読経の声が響き、二月堂の堂内にいるかのような臨場感を醸します。
修二会に参篭する「練行衆」と呼ばれる僧侶たちは、仏の前で体を打ちつけ、罪を悔い、14日間全身全霊で祈り続けるのです。
修二会 二月堂内
3月12日深夜に、若狭井から観音さまにお供えするお香水を汲み上げる「お水取り」が行われます。
汲み上げた香水を道内に運ぶための「朱漆塗担台」や、堂内の参詣者に香水を分ける際に用いる「香水柄」などが展示されています。
朱漆塗担台
香水杓 鎌倉時代 1253年/1255年
練行衆が着る紙製の小袖「紙衣」や、本行で履く木沓「差懸」の実物も見ることができます。
修二会では差懸を履いて床を踏み鳴らしたり走ったりします。
紙衣
本行で履く木沓「差懸」
大きな松明を振り回す達陀(だったん)の行で練行衆が被る達陀帽。
修二会満行後の3月15日には、達陀帽を子どもの頭に被せて健やかな成長を祈る「達陀帽いただかせ」が執り行われ、参拝者で賑わいます。
達陀帽
修二会の進行を監督する練行衆の堂司が振り鳴らす鈴「三鈷鐃」。鎌倉時代のものも伝わっています。
三鈷鐃 手前は鎌倉時代 13~14世紀 奥2点は江戸時代
錫杖は托鉢などに用いられますが、儀礼に当たって宗教的雰囲気を高めるためにも使用されるそうです。修二会でも儀礼の中で鈴とともに打ち鳴らされます。
錫杖 江戸時代 18~19世紀
修二会では食事の作法も細かく決められています。食事も修業の一環で「食事作法」と呼ばれます。正式な食事は一日一回。
奈良時代製作のこの鉢は、食堂で仏餉鉢として昭和19年まで用いられていました。
鉢 奈良時代 8世紀
修二会にはさまざまな決まり事や作法があります。「新入」といわれる初めて参籠する練行衆のために、作法や心得を記した書物、いわゆる虎の巻です。
こうやって1270年もの伝統は引き継がれてきたのですね。
新入心精進之事 江戸時代 1718年
「お松明」のイメージが強い修二会でしたが、人々にかわってその罪を懺悔していただいている修二会の姿や、受け継がれてきた伝統を知る展示となっています。
十一面観音つながりで、ぜひ同時開催の「聖林寺十一面観音」展と合わせてお楽しみください。
博物館から出たところお見送りしてくれたシカさんです
[ 取材・撮影・文:ぴよまるこ / 2022年2月4日 ]
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