
泉屋博古館(京都)前面道路より
派手さはない。けれど、絵の前に立つと、静かな感情がふと動き出す——そんな体験が、泉屋博古館で待っていた。
近代の日本洋画に、本格的な「写実」という技法をもたらしながら、長く顧みられることのなかった画家がいる。鹿子木孟郎(かのこぎ たけしろう)。
その名が、今ふたたび注目を集めている。

「特別展 生誕151年からの鹿子木孟郎 ―不倒の油画道―」展示風景
ローランスに学び、写実に挑んだ若き日
泉屋博古館東京の野地館長が「ルーブル美術館にあってもおかしくないです」と語る一枚がある。
空間の温度が変わるほどの存在感。英雄の死を悼む歴史画には、皮膚感覚を揺さぶる“知覚”が宿る。

ジャン=ポール・ローランス《マルソー将軍の遺体の前のオーストリアの参謀たち》1877年 泉屋博古館東京蔵[前期展示]
ローランスに学び、ルーブルで絵画の本質に向き合った鹿子木孟郎。
《白衣の婦人》には、布の質感に宿る静けさが、技術への執念を語る。《自画像》には、まるで赤い背景が彼の覚悟を象徴するかのように、画家としての誇りと責任が刻まれている。

左:鹿子木孟郎《白衣の婦人》1901–03年頃(明治34–36)京都工芸繊維大学美術工芸資料館蔵[前期展示]、右:鹿子木孟郎《自画像》1903年頃(明治36)個人蔵
ノルマンディーの浜に立ち、海の静けさを描く
《ノルマンディーの浜》は、近代日本洋画の金字塔と称される。
ノルマンディーの漁師の家に身を置き、潮風と暮らしの音に耳を澄ませながら、鹿子木孟郎はこの絵を描き上げた。 画面からは、人物の佇まいだけでなく、浜辺の石のゴツゴツとした感触が“その場にいる”という感覚を、脳に直接語りかけてくるようだ。
石川啄木は「よく海岸の淋しさが表れてゐた」と評した。

鹿子木孟郎《ノルマンディーの浜》1907年(明治40)泉屋博古館東京寄託
絵を前にする時間が、自分と向き合う時間になる
椅子に腰掛けると、人の声は遠ざかり呼吸が整う。絵の中の時間がこちらに流れ込んでくる。
鹿子木は人体解剖にも立ち会い、美化せず、あるがままを描くために厳しい修練を重ねたという。

「特別展 生誕151年からの鹿子木孟郎 ―不倒の油画道―」展示風景
黒い上着に黒い手袋。まっすぐな視線が、こちらを射抜く。その眼差しに、言葉にならない思いが宿っている。

鹿子木孟郎《婦人像》1938年(昭和13)岡山県立美術館蔵
一本の巨木。幹に刻まれた時間と光の陰影が、画面に封じ込められている。
神聖なものに触れるような、静かな緊張が漂う。

鹿子木孟郎《木の幹》個人蔵
この展覧会は、忘れられた画家を知る体験だった。
絵の前に立つ時間は、自分自身と向き合う時間へと変わっていく。
この不確実な時代に、鹿子木孟郎の絵と向き合うことで、あなた自身の輪郭が少しずつ浮かび上がるかもしれない。
[取材・撮影・文:入江玄(いりえ げん) / 2025年9月26日]