[中野善八]
私と川上澄生先生との最初の出会いは、宇都宮市にある延命院というお寺でした。当時の住職は小針孝哉住職で、宇都宮中学校(現・栃木県立宇都宮高等学校)時代の川上先生の教え子で、熱烈な川上先生の支援者の一人でした。
私は、その時はまだ宇都宮大学美術科の1年生で、それ以後この寺でいろいろとお世話になりました。当時の延命院には夜な夜な川上先生の教え子が集まり、わいわいガヤガヤと夜遅くまで語り合っていました。(もちろん川上先生も時々来ておられました)
話題はいつも「ハリさん」のこと(川上澄生先生のこと)でした。その後、小針先生の紹介で、宇都宮女子高等学校裏門近くにあった川上先生の自宅に何回も訪問する機会を得ることになりました。
訪問するごとに先生の版画作品や制作のこと、その他ご自分でつくられた各種のガラス絵等を見せてもらい、さらに奥さんが心をこめていれてくれた、おいしいコーヒーをいただきながら貴重なお話を拝聴しました。それは今でも良き思い出として心に残っています。
このような関係で、その後川上先生が主宰する鈍刀会にもすぐ入会することになりました。私にとっては川上先生は版画を始めるきっかけとなり、さらに人生最高の指導者であり、最も大切な恩師の一人でした。
[五反田智]
私の版画との出会いは、高校1年生のとき、美術の福田福治先生(福田徳樹・前川上澄生美術館長のご尊父)から、版画のおもしろさを教えられたときからです。先生は多色刷版画の作り方、刷り方、竹の皮をさいてひもを作るバレンの作り方、彫刻刀の研ぎ方などを楽しく教えてくださいました。
それから50年、毎年の年賀状版画くらいしか版画は作っていませんでした。ところが一昨年、川上澄生美術館の主催する「市民の木版画展」が始まり、募集要項を見て、ひとつ出品しようかと、年賀状の数倍の大きさ(30cm×45cm)に初めて掘りました。だから、私は版画は全くの素人です。どうも油絵やデッサンの表現のくせがぬけず、面の単純化が苦手です。
今回、川上澄生美術館から「地域の作家展」の話があり、館長さんや学芸員さんに励まされ、出展することになりました。全国区の当美術館に展示されることは光栄ではありますが、怖さ、恥ずかしさの方が数倍です。