娘の油彩を何十枚も描いた岸田劉生。〈麗子像〉を中心とした岸田劉生の展覧会は過去に何度も開催されていますが、本展は劉生を挟んだ三代に焦点を当てた、ちょっと珍しい企画です。
会場の最初は〈麗子像〉の連作からはじまります。麗子は、劉生が蓁(しげる)と結婚した翌年に生まれた長女。劉生は麗子の誕生を喜び、直後の日記に「俺達はきつと御前を生涯愛してやる。愛しずには居られようか。御前のように可愛い子を」と記したほどです。
会場入口から劉生の父である吟香は、多方面で活躍した開明派の文化人でした。その活動を挙げると、日本初の本格的な和英辞書の編集、東京日日新聞(毎日新聞の前身)の主筆、定期船航路の運行、盲学校の設立と、数えきれないほどです。
事業家としては、日本初の液体目薬「精錡水(せいきすい)」の製造・販売で知られています。髭面で180cm、90kgの堂々たる巨漢だった吟香。特徴的なキャラクターを広告に登場させるなど大らかな性格で、美術家や政治家、知識人など様々な人脈がありました。
高橋由一も、吟香の友人でした。《甲冑図(武具配列図)》は、明治の世で「腐朽に属するは必然」となった武具を、保存に向く油彩で描いた一枚。その想いも含めて、吟香はこの作品を「博覧会の記」で激賞しています。
第一部 岸田吟香 ─ 明治の傑物にして劉生の父劉生は吟香の四男です。「精錡水」を販売した薬局がある銀座で生まれ育ったため、若き日の風景画には銀座を描いた油彩もあります。
劉生は1912年に高村光太郎らとヒュウザン会を発起した頃から、本格的に画家として活躍。後期印象派風から北方ルネサンス風、そして後年には日本画も手掛けるなど、次々と独自の画境を切り拓いていきました。
1929年、満州への初の国外旅行からの帰路、立ち寄った山口で客死。享年38歳、愛娘の麗子はまだ15歳でした。
第二部 岸田劉生 ─ 大正洋画壇の異色の星劉生による絵で、日本一有名な少女になった麗子。劉生の子ということもあり、幼い頃から絵に親しんでいました。劉生の日記には、児童画の展覧会で賞をもらって喜ぶ麗子の様子なども記されています。
劉生の没後は、父の旧友・武者小路実篤に私淑。画家として活躍すると同時に、演劇人として舞台にも出演。戯曲や小説や随筆なども手掛けました。
和歌山の自宅が戦災で全焼したため戦前の作品はほとんど残っていませんが、会場には油彩や日本画、スケッチのほか、幼い頃に描いた絵なども展示されています。
第三部 岸田麗子 ─ 劉生の愛娘・昭和を翔る会場は一部~三部で吟香・劉生・麗子を一人ずつ取り上げ、さらにそれぞれの中に章を設けた構成。三人とも活動が多彩だったということもあって、かなり盛りだくさんの内容です。個を貫いた三代の歩みを、じっくりと時間を取ってお楽しみください。
本展は、4月18日(金)~5月25日(日)、
岡山県立美術館に巡回します。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年2月7日 ]