醍醐寺の始まりは平安時代・貞観16年(874)。天智天皇の6世孫(孫の孫の孫)にあたる聖宝(しょうほう)が開山しました。朝廷や貴族、そして武士の帰依を受けた醍醐寺は、密教の中核寺院のひとつとして発展。歴代の座主も、時の為政者との深い関わりを持っています。
展覧会では醍醐寺が所蔵するさまざまな寺宝から、選りすぐりの名宝97件を展示(東京展:会期中通して)。平安時代から近世までの醍醐寺の変遷をたどります。
会場は4章構成で、第1章は「聖宝、醍醐寺を開く」。冒頭は、穏やかな表情の重要文化財《如意輪観音坐像》。さらに開祖・聖宝の肖像や伝記などが紹介されています。
第2章「真言密教を学び、修する」には、仏像も多数登場。重要文化財《五大明王像》は、醍醐寺初代座主の観賢が創建した中院に本尊として伝わった平安時代の像で、当初の5軀が揃った五大明王像としては、東寺講堂にある像に次ぐ古作です。
墨線のみで描かれた白描図像は、展覧会にはあまり出ないかもしれません。絵画や彫刻の設計図といえる白描図像。修法や祈祷を重視する密教において、尊像を研究するために描かれました。
吹き抜けホールに安置されているのは、国宝《薬師如来坐像および両脇侍像》(構成としては第1章)。中央の薬師如来像は像高176.1センチ。威厳ある表情、堂々とした体躯で迫力があります。
第3章は「法脈を伝える─権力との結びつき─」。時の為政者と良好な関係を築いた醍醐寺。第65世座主・賢俊は、足利尊氏や北朝天皇の護持僧。第73世座主・満済は、足利義持の後継将軍選出にも参加するなど、室町幕府の政治顧問といえる存在でした。
最後は、第4章「義演、醍醐寺を再びおこす」。義演(1558~1626)は第80世座主。豊臣秀吉らの援助を受けて、応仁の乱で荒廃した寺を復興させました。秀吉は慶長3年(1598)の春、醍醐寺三宝院裏の山麓で盛大な花見を開催。派手好きな秀吉にとって最後の宴となり、この花見の約5か月後に亡くなりました。
展覧会の仏像大使には、みうらじゅんさん(イラストレーター)と、いとうせいこうさん(作家・クリエーター)が就任。オリジナルグッズ「見仏野帳」「仏光ライト」も制作しました。会場で販売中です。
サントリー美術館での展覧会は11月11日(日)まで。続いて九州国立博物館に巡回します(2019年月1日29~3月24日)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2018年9月18日 ]※作品は全て醍醐寺蔵