5歳から漢籍(漢文で書かれた書物)を学ぶなど、中国文化に親しんでいた細川護立。その関心は美術にも向けられ、1926年(大正15)の欧州旅行から、本格的に中国美術を蒐集するようになりました。
展覧会は古代中国の美術をはじめ、これまでほとんど公開されていないオリエント美術などを展示。あわせて、細川家に伝わった高麗茶碗も紹介していきます。
会場は4階から下に降りる動線で、まずは古代中国の金属器から。護立は渡欧中に博物館を訪ね歩き、パリの古美術商から数々の美術品を買い求めました。
ここで早くも、お目当ての国宝《金銀錯狩猟文鏡》が登場します。現在は「細川ミラー」の名で知られており、三方に渦巻き文様が、その間には、獣と対峙する騎馬人物など3種の図が象嵌技法によって表現されています。中国の戦国時代(前4~前3世紀)には、すでに高い技術が確立されていた事がわかります。
会期前半、3月15日(土)までの限定公開。3月17日(火)からは、代わって国宝《金彩鳥獣雲文銅盤》が展示されます。
この展示室には、日本の画家が中国を描いた絵画も。安井曾太郎の《承徳の喇嘛廟》は、満州からの帰途に立ち寄った承徳で、チベット仏教寺院(ラマ廟)を描いた作品です。護立は安井を篤く支援しており、安井から護立に宛てた手紙も展示されています。
3階はオリエントの美術。展覧会の開催に先立ち、館蔵のオリエント美術コレクションが調査されました。
《ゴールドバンドガラス碗》は、紀元前2~前1世紀頃の器。透明ガラスと紫色のガラスでレース模様をつくった後に、金箔を挟んだ縞模様のガラス板を合わせて浅鉢形にするという、複雑な工程です。帯状の金箔をガラスに挟むのは、現代でも難しい高等テクニックです。
会場最後の2階には、高麗茶碗。国としての高麗ではなく、朝鮮半島から輸入された茶碗はすべて「高麗茶碗」と呼ばれます。細川家には16点の高麗茶碗が伝わります。
《柿の蔕(かきのへた)茶碗》は、伏せた柿の蔕からの命名といわれますが、由来は定かではありません。見込み(茶碗の内側)には茶筅で擦れた跡があり、良く使われた事がわかります。
表面がざらつき、手触りがイライラするのでこの名がついた《伊羅保(いらぼ)茶碗》。脇から見ると、碗の薄さも印象的です。
なお2階の奥では「細川家と明智光秀」の特別パネル展示も。今年の大河ドラマ「麒麟がくる」の主役、明智光秀と細川家は関係が深く、「本能寺の変」の七日後に光秀から送られた文書が、永青文庫に伝わっています。ここでは複製の展示とともに、その内容について解説。原本は次回展「新・明智光秀論」に出展されます(4/25~)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2020年2月14日 ]