日本美術の人気ナンバーワン、伊藤若冲。江戸時代半ばに数々の名作を制作し、寛政12年(1800)に没してから、今年で220年になります。収蔵する若冲の作品全7件を一挙に公開する記念の展覧会が、岡田美術館で開催中です。(掲載作品はすべて岡田美術館蔵)
岡田美術館入口
3階の展示室に入ると、豪華な金屏風の世界から展覧会はスタート、まずは若冲が活躍した京都に関連する作品です。徳川は江戸に幕府を開きましたが、京都には天皇や公家が健在。新興の町人も含め、文化の中心地といえる場所でした。
《網代垣藤花・萩薄図屏風》は少し前にあたる、桃山時代の屏風。装飾的な描写ながら、フジとハギの巧みな構成で画面に奥行きを与えています。
長谷川派《網代垣藤花・萩薄図屏風》17世紀初頭
第1章は「光琳と乾山」。尾形光琳は若冲が生まれた年に亡くなっているので、直接的な関係はありません。ただ、光琳は没した後も絵手本や図案集などで名声が広まっていたため、もちろん若冲も知っていたはず。若冲の伝記にも「光琳の筆意を用いた」という一説があります。
華麗な琳派の屏風も出ていますが、ここでご紹介したいのはユーモラスな《布袋図》。光琳の一面である軽妙な味わいは、若冲の晩年の水墨画に継承されたとも捉えられます。
一方、光琳の弟・乾山は禅に傾倒。若冲も禅僧の梅荘顕常と親しく交わり、禅を心のよりどころにしていました。両者には禅を通じた共通点が見られるといえます。
尾形光琳《布袋図》18世紀初頭
尾形乾山《夕顔・楓図》元文5年(1740)頃
そして、いよいよ若冲に包まれる第2章「若冲の世界」。4年前の「若冲と蕪村」展では《孔雀鳳凰図》が別の階で展示されていたため、岡田美術館が収蔵する若冲の全7作品が一堂に会するのは、今回が初めてになります。
《花卉雄鶏図》は30代後半の作品です。鶏の首のあたりは裏彩色が用いられており、実に細やかな描写が魅力的。若冲は自宅の庭に数十羽のニワトリを飼い、写生を重ねて描写を極めました。
伊藤若冲《花卉雄鶏図》18世紀中頃
《孔雀鳳凰図》は昭和8年(1933)に重要美術品に認定されて以来、行方が分からなくなっていた作品です。2015年に見つかり、岡田美術館の収蔵になりました。
「桐に孔雀」「牡丹に鳳凰」は、ともに花鳥画の定番。若冲が家督を弟に譲り、画業に専念した数え40歳頃の作品です。高名な《動植綵絵》に似た作品があるので、それらの準備段階と考えられています。
重要美術品 伊藤若冲《孔雀鳳凰図》宝暦5年(1755)頃
《月に叭々鳥図》は、黒い鳥が真っ直ぐ下に落ちていく珍しい構図。カラスではなくハッカチョウで、背中の「八」の字の模様から、叭々鳥(ははちょう)ともいわれます。
大胆な鳥の描写の上部には、うっすらと満月が。月の周辺にごく淡い墨をひくことで、満月の明るさが際立ちます。
床の間の軸を和室で見るように、この作品はやや見上げて見ると、より魅力的に見えるとの事。確かにそうして見ると、真下に落ちてくるハッカチョウのスピード感と、上空の月の対比がさらに強く感じられます。ぜひ試してみてください。
見上げて見るとこのような感じです 伊藤若冲《月に叭々鳥図》18世紀後半
鎌倉時代以降、数々の作品が描かれた「三十六歌仙図」。江戸時代になると、ユニークな歌仙の姿と俳句を組み合わせた作品も見られるようになりました。
若冲の《三十六歌仙図屏風》も、その類の作品。和歌の名人は、楽器で遊んだり、シャボン玉を吹いたり、田楽を焼いたりと、実に楽しそう。若冲が亡くなる4年前の作品です。
伊藤若冲《三十六歌仙図屏風》寛政8年(1796)
最後の第3章は「若冲と同時代の5人の絵師」。若冲と人気が伯仲していた絵師とその周辺、あわせて5人の作品が紹介されます。
与謝蕪村は若冲と同い年。家も近所でしたが、2人の関係を示す資料は知られていません。
若冲と交友があったのが池大雅。禅僧の大典を交えて、梅を見に行った事もあります。
同時代で最も人気があったのは円山応挙です。両者とも同じ中国画から学ぶなど、間接的ながら関係があります。
(左から)与謝蕪村《渓屋訪友図》18世紀後半 / 与謝蕪村《関帝像》明和4年(1767)
(左から)池大雅《関帝像》明和8年(1771) / 池大雅《終南山図》18世紀後半
(左から)円山応挙・源琦《三美人図》天明3年(1783) / 円山応挙《子犬に綿図》18世紀後半
長沢蘆雪は応挙の弟子です。若冲より38歳も年下ながら、若冲が没する前年に亡くなりました。
曾我蕭白は京都出身ながら各地を遊歴。43歳頃に京都に戻りました。若冲、蘆雪、蕭白は今では「奇想の画家」として知られています。
長沢蘆雪《鯰図》18世紀後半
曾我蕭白《飲中八仙図屏風》18世紀後半
現在に至る若冲ブームの一翼を担ったのが、岡田美術館の小林忠館長です。初めての総合的な若冲展といえる「若冲 特別展観」(東京国立博物館)を1971年に担当。2016年の「生誕300年記念 若冲」展も監修を務めました。
展覧会タイトルの「画遊人」も、小林館長が著書で発案したワード。画狂人・北斎に対して、心から絵に遊んだ達人として若冲をたたえた言葉です。まさに言い得て妙。若冲の「遊び」の全容を、お楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2020年11月10日 ]