2007年に企業と美術の関係に焦点を当てた展覧会「福原信三と美術と資生堂」を開催した
世田谷美術館。本展はその流れを継ぐ企画で、4章で構成されます。
第1章 美術との出会い ─ 美術染織・日本画・洋画・工芸
第2章 暮らしとの出会い ─ 百貨店建築・装飾・ウインドーディスプレイ・広告宣伝・出版
第3章 継承と創生の出会い ─ 「上品会」と「百選会」
第4章 明日との出会い ─ 髙島屋の文化活動
髙島屋は早くから国内外の博覧会への参加を進め、出展された染織作品は高い評価を得ていました。
商品を開発するなかで美術家・染織家と緊密な関係を築き、はじめは日本画家、後には洋画家との交流も深まります。
冒頭はエレベーターガールが髙島屋の歴史を紹介する楽しい演出から髙島屋による博覧会出展作品の中でも特に名高いのが、ビロード友禅3点組《世界三景 雪月花》。1910(明治43)年の日英博覧会に出展されたものです。
東洋美の象徴「雪」「月」「花」を題材に、当時の京都画壇を代表する三人が下絵を制作。本展ではその下絵が出展されています。山元春挙《ロッキーの雪》、竹内栖鳳《ベニスの月》、都路華香《吉野の桜》は大評判となりました。「雪」と「月」のビロード友禅は、1994年に大英博物館に収蔵されています。
ビロード友禅3点組《世界三景 雪月花》などが並ぶ第2章では建築やデザインなどを紹介。なかでも目をひくのは、壁一面に展示されている戦前の広告ポスターです。
軍靴の音が聞こえてきた昭和初期。「国防大展覧會」「世界に輝く わが潜水艦展覧会」など、現在では驚くようなテーマも、当時の庶民にとっては重大な関心事でした。
広報宣伝ポスター第3章は「上品会」と「百選会」。髙島屋の呉服への取り組みを紹介します。
伝統の染織美の極みを追求した「上品会」に対し、流行の先端の意匠を求めたのが「百選会」。髙島屋は伝統と流行の二つの流れで、呉服の世界を牽引していきました。
第3章その他にも、民藝運動のエポックである「現代日本民藝展覧会」(1934年)や、本展の前に世田谷美術館で行われていたエドワード・スタイケンの代表展「ザ・ファミリー・オブ・マン写真展」(1956年)も、髙島屋日本橋店での開催。わが国の近代美術史の重要なポイントで、髙島屋の名前が良く出てくることに改めて気づかされます。
追加で、海外博覧会での興味深いエピソードを。
1900年の髙島屋パリ万博にビロード友禅《波に千鳥図》を出品したところ、出展中にも関わらず「自宅の壁に飾りたいので運べ」と命じた人がいました。その人物は、ミュシャのポスターでも有名なサラ・ベルナール。19世紀を代表する大女優です。
出展中の作品を運べとは、あまりにも無茶な注文ですが、髙島屋は希望に応じて自宅まで持参しました。もちろん、その経緯はパリの新聞に掲載され、さらに髙島屋の名声が上がったことは言うまでもありません。(取材:2013年4月24日)