インフルエンザやコロナウィルスの流行を恐れる現代からさかのぼること100年。
全世界に流行したスペイン風邪。
クリムトやエゴン・シーレがこの病により命を失ったように、日本でも村山槐多や関根正二という才能ある若者を失うこととなりました。
本展は関根正二の20年というあまりに短い生涯を顧み、その中で煌めく才能にあふれた貴重な作品が集められた過去最大の回顧展です。
レセプションでは水沢館長より、関根正二の才能にいち早く注目し、展覧会やコレクションを積極的に行ってきた神奈川県立近代美術館と彼の深い関わりについてのお話がありました。
レセプションでの神奈川県立近代美術館 水沢勉館長
関根は本格的な美術教育を受けることなく、ほぼ独学で絵の道を志すことになりますが、幸いなことにのちに優れた芸術家となった人々と友情を育むことができました。
そんな友人の技術や芸術論の影響を受けながら、やがて関根独自の個性的な作風に辿り着きました。
左から《井上郁像》1917年(大正6年) 福島県立美術館寄託・《村岡みんの肖像》1917年(大正6年) 神奈川県立近代美術館蔵
展示室を入ってすぐの壁には初期の作品が展示されています。
こちらの2枚の肖像画も関根の画業の中では比較的前半に描かれたものです。
デューラーやセザンヌといった西洋絵画の影響が見受けられます。
色調を抑え丁寧に描き込んだ人物像は、齢を重ねた女性の人生の深みと重厚な人柄をよく写していますが、これらの作品はなんと18歳で描かれたもの。関根の早熟な才能が見てとれます。
《少年》1917年(大正6年) 個人蔵
関根は兄弟や知り合いの子供たちを好んで描いていました。
描かれている子供たちは無邪気で愛らしいというよりは、思慮深く一点を見つめているような眼差しを持っています。
それは芸術と真摯に対峙しようとしていた関根の心の内を表していたのでしょうか。
《姉弟》1918年(大正7年) 福島県立美術館蔵
こちらの作品も、幼い弟を背負った姉は子供ながらに憂いを感じる表情です。
黄色い大輪の花畑とその奥に広がった草原、そして複雑な色味を含む空が郷愁を誘います。
《神の祈り》1918年(大正7年) 福島県立美術館蔵
晩年の関根の作品の中には、信仰心を感じさせるものも多くみられます。
20歳そこそこの青年が、神に何を祈っていたのでしょうか。
後期(2月18日(火)より)は大原美術館所蔵の《信仰の悲しみ》(重要文化財)も展示されるとのことで、楽しみです。
左から 関根正二《画家とモデル》1916年(大正5年) 神奈川県立近代美術館蔵・伊東深水《蓮にバッタ》1916年(大正5年) 神奈川県立近代美術館蔵
展示室の右奥には、伊東深水、東郷青児、河野通勢など関根と親交のあった作家たちの作品が並びます。
この展示の興味深いところは後に有名になった彼らの、関根が生きていた時代の作品を中心に紹介しているところです。
上の日本画は、左が関根、右が伊東深水の作品です。
美人画で有名な深水のよく知られる作風とは異なり、この2人の作品は何となく似た雰囲気を感じました。
関根正二の書簡など
展示ロビーには、年表や関根が友人に宛てた手紙が展示されていました。
手紙に描かれた挿絵など、ほのぼのとした交流や関根の芸術への悩みなどを読み取ることができます。
(美術館外観)
昨年秋にリニューアルした鎌倉別館には、ガラス張りの明るいカフェも併設されました。
観光地鎌倉の雑踏からしばし離れ、隠れ家的な美術館として芸術をゆったり楽しめるのではないでしょうか。
エリアレポーターのご紹介 | 松田佳子 湘南在住の社会人です。子供の頃から亡き父のお供をして出かけた美術館は、私にとって日常のストレスをリセットしてくれる大切な場所です。展覧会を楽しくお伝えできたらと思います。
|
エリアレポーター募集中!あなたの目線でミュージアムや展覧会をレポートしてみませんか?