ちょうど10年前の2006年にも浦上玉堂展を開催した
千葉市美術館。その時は玉堂のみを特集しましたが、今回は二人の息子にもスポットを当てて、父子の歩みを俯瞰していきます。
岡山・鴨方藩では高位の武士だった浦上玉堂。血筋は武内宿禰(天皇に仕えた伝説的な忠臣)や紀貫之(古今和歌集の選者の一人)らにも繋がると自負しており、毛並みの良さは浦上父子のアイデンティティでもありました。
母と妻を亡くし、娘も嫁いで身軽になった玉堂。エリート階級を捨て、念願だった文人として生きる事を決意します。春琴(16歳)と秋琴(10歳)という二人の息子を連れて50歳で脱藩出奔と、思い切った行動に出ました。
第1章「玉堂の家系と家族」会場最初のフロアは、大部分が玉堂の作品。玉堂が本格的に画業に取り組んだのは40歳頃で、おそらく独学と思われます。七絃琴の演奏・作曲・造琴を手掛け、薬学や医学にも関心を示していました。
脱藩した父子三人は、諸国を遍歴。玉堂は職業画人である事を嫌う根っからの文人気質で、上手くなろうともせず、好きな山水画だけを心の赴くままに描きました。
小さな作品が多い玉堂の書画ですが、中には畳一畳ほどの大作も。縦の画面に円・四角・扇型などの枠を描き、その中に画や詩を描く珍しい作例もあります。
第2章「玉堂」続いて長男・春琴の作品。春琴の作品は数多く残っていますが、これほどの数がまとまって展示される機会はあまりありません。
脱藩した父とともに全国を遊歴した春琴は、父とは違って頼まれたものを何でも描くプロの画家。ただ、文人としての意識は高く、中国趣味を好みました。
幼い頃から父の英才教育を受けた事もあってか、確かな画力を持っていた春琴。真面目な性格で着実に技術を身に着け、洗練された表現は父を遥かに凌ぐ人気でした。
本展には、ミネアポリス美術館から屏風の大作も出品。大画面ながら細部まで丁寧に描きこまれた力作です。
第3章「春琴」次男の秋琴も父と一緒に出奔しましたが、脱藩の翌年に訪れた会津藩に召し抱えられる事になります。父や兄と同様に詩画も嗜みますが、音楽面での活動が目立つようになった事もあり、作品はあまり多くありません。若い頃の作品と、隠居した後の山水画などが紹介されています。
展覧会の最後は、著名人が収集した玉堂作品を紹介。前述したように当時の評価は、玉堂よりも春琴の方がずっと上。玉堂に注目していたのは、田能村竹田などごく僅かでした。
玉堂の評価が高まったのは、大正時代以降。美術において個性が重視される流れの中で、玉堂の独創性に光が当たったのです。橋本関雪などの日本画家、大原孫三郎や木村定三などのコレクター、そして国宝《東雲篩雪図》を愛蔵した川端康成など、多くの人が玉堂に魅せられました。
第4章「秋琴」、第5章「玉堂を見つめる」残念ながら、相対的に春琴への関心は薄くなりましたが、もっと注目されて良いテクニシャン。特に魚を描いた作品が目を引きました。本展を機に、再び浦上春琴を見直す気運も高まりそうです。
12月4日(日)までの前期と12月6日(火)からの後期で、多くの作品が展示替えされます。国宝《東雲篩雪図》は11月22日(火)~11月27日(日)のみの展示ですが、リピーター割引も設定されています。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2016年11月17日 ] |  | 浦上玉堂
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