スプーンですくったジャム、割れた殻から滑り落ちてくるなま玉子など、変化するものの一瞬の姿を鋭く捉えた独自の写実表現で知られる上田薫(1928-)。半世紀にわたる画業を振り返る大規模展が、横須賀美術館で開催中です。
会場の横須賀美術館
出展数は代表作に加え、初期作品から版画・水彩画などもあわせて80余点。全6章構成です。
第1章は「『リアル』の前史」。上田は東京生まれ。東京藝大で油彩を学び、卒業後の初個展では抽象絵画を出品しています。
一方で1956年にはアメリカの映画製作・配給会社MGMによるポスターコンクールで国際大賞を受賞。約10年間はデザイナーとして活動しています。
1968年頃から再び絵画制作を始めるものの、この頃は試行錯誤を重ねる日々。初期の作品からは、現在に繋がる要素はあまり感じられません。
第1章「『リアル』の前史」
第2章は「スタイルの確立」。上田にとって転機となったのは、手元にあった貝殻でした。
自分の内面を見つめる抽象表現に見切りをつけ、視覚でとらえたものをそのまま描いたところ、「生理的に非常にスカッとした」といいます。
「貝である」という、ただ一点を描くために、背景も描かず、対象だけを描写。モチーフだけが宙に浮いているようなスタイルは、この時点ですでに確立されています。
第2章「スタイルの確立」
第3章は「『時間』を描く」。さまざまなモチーフを描いていく中で、上田は作品世界を広げていきます。
《アイスクリーム》シリーズでは、スプーンでアイスクリームをすくった一瞬を描写。描く対象が「物」から「現象」へと変化していきました。
より刹那的な現象を描いた作品が《なま玉子》シリーズ。卵が割れて中身が落ちてくるさまは、文字通り一瞬の出来事ですが、その瞬間の中にある「時間の幅」に目を向けています。
上田の制作スタイルは、対象をカメラで撮影し、写真をプロジェクターなどでキャンバスに投影して輪郭を写し取った後に、写真を見ながら彩色していく、という合理的なもの。学生時代にアルバイトで経験していた「絹こすり」(写真を投影して油絵にする、米兵向けの土産物)の技術を応用しています。
第3章「『時間』を描く」
第3章「『時間』を描く」
第4章は「『光』を描く」。《あわ》シリーズではカメラを構える作者自身の姿も画面に描かれるなど、ユニークな効果も生まれています。
透過や反射など、光の性質に興味を示した上田は、実際の川を取材した《流れ》シリーズを制作。これまで、写真撮影から完成までを一貫して室内で行ってきた上田にとって、大きな転換といえます。
また、余白を持たせずに画面全体に描写するのも、それまでには見られなかった展開です。
第4章「『光』を描く」
第4章「『光』を描く」
第5章「素描と版画」。上田の素描は、油彩画のあとから制作されており、いわゆる下絵ではありません。油彩はモチーフ全てが丹念に描きこまれているのに対し、素描は特定の部分が集中的に描かれるため、上田の関心の核心がどこにあるのかを見て取る事ができます。
1980年代からはリトグラフも制作。小画面で、油彩で描いたイメージを表現しています。
第5章「素描と版画」
第6章は「そして現在へ」。2000年代以降も、上田は精力的に活動を続けています。
2000年に始まった《Sky》シリーズは、上田にとっては数少ない屋外の作品群。その後には再び身近なものに視点を定めています。
サラダを描いた作品は、《流れ》シリーズのように、画面全体を埋めるオールオーバーな構図。《卵の殻》シリーズでは、モチーフが単体ではなく、複数を組み合わせることによって、新たな空間が表現されています。
第6章「そして現在へ」
第6章「そして現在へ」
写実絵画に注目が集まるようになってから久しいですが、上田薫は1970年代に現在の画風を確立。日本におけるスーパーリアリズムを代表する作家として評価され、作品は文字通り全国各地の公立美術館に所蔵されています。
ただ、逆にあまりにも各所にあるためか、特定の美術館で掘り下げられる事がなく、意外にもこれほどの大規模展は初開催。画業の全貌を解き明かす、初めての機会となりました。
会場は、海に面した絶好のロケーションを誇る横須賀美術館。天気の良い日にお越しください。横須賀の後には、埼玉県立近代美術館に巡回します(11/14~1/11)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2020年9月25日 ]