JCIIフォトサロンでは、古写真シリーズの19回目として、来る2010年8月3日(火)から8月29日(日)まで、「彦馬が見た西南戦争」展を開催いたします。
日本における最後の内戦となった西南戦争は、明治新政府の近代国家の建設を急ぐ政策により、生活の基盤を失った不平士族による反乱でした。西郷隆盛を盟主とした薩軍は明治10年(1877)2月に熊本城を包囲しますが、徴兵による政府軍の反撃を受け、田原坂(たばるざか)をはじめ次々と戦いに敗れます。最後は鹿児島に敗走し、城山(しろやま)に陣地を築き立てこもりますが、同年9月、西郷の死をもって、8ヶ月にも及んだ薩軍と政府軍の戦いは終結しました。勝利した政府はこの戦争に約70,000人もの兵を動員したといいます。天保9年(1838)に長崎で生まれ、幕末の文久2年(1862)に長崎で初の営業写真館「上野撮影局」を開業し、日本写真界の開祖の一人として知られている上野彦馬は、長崎県令(現在の県知事に相当)北島秀朝(ひでおみ)を通じて政府軍の征討参軍(司令官)川村純義(すみよし)の命を受け、西南戦争に従軍して数々の戦場記録写真を撮影しました。当時使われていた湿板写真は、その場でガラス板に感光材の塗布をし、現像処理までを行わなければなりませんでした。そのため、彦馬はこの撮影用に特製の携帯暗室までしつらえ、撮影助手の弟子二人と機材を運ぶ人夫8人を含む、総勢11名の撮影隊を結成して撮影に挑みました。まだ危険が残る戦場での撮影に、彦馬らは多大な労力を費やしたようです。
今回の展示では、現存する100枚以上もの西南戦争の写真の中から、熊本城周辺から田原坂、松橋や段山、そして鹿児島の城山などを中心に、激戦のあった戦場の様子を写した作品、約80点をご覧いただきます。西南戦争の写真がこのようにまとまって現存するのは大変珍しく貴重なものです。そこには崩壊した城の周辺や墓地、砲弾が撃ち込まれた民家や射撃用に造られた竹籠で編んだ塁など、生々しい戦場の跡が写し出されています。湿板写真は長時間露光が必要なので、一瞬の撮影はできません。そのため、日清・日露戦争のように兵士のいる戦況の様子は写されていませんが、荒れ果てたそれらの風景からは、戦闘の激しさがひしひしと伝わってきます。特に荒廃した熊本城内や、西郷が最後に立てこもった城山から眺めた桜島のパノラマ写真には、戦争の背景にある悲しさをも偲ばせているように感じとれます。
★この展示に合わせて、8月8日(日)に長崎大学環境科学部教授の姫野順一氏をお招きし、古写真研究家(日本カメラ博物館)の井桜直美氏とのトークショー「西南戦争と上野彦馬」を開催いたします。是非ご参加ください。(※要電話予約)