添田唖蝉坊(そえだ・あぜんぼう 1872~1944)とその息子・知道(1902~1980)は、明治半ばから大正期にかけて巷に流行った演歌の作者・演者として圧倒的な人気を誇った父子です。
明治初期に盛んであった自由民権運動の演説などがそのルーツとされる当時の演歌は、今日の演歌とはかけ離れたメッセージ・ソングであり、歌詞には政治や社会への痛烈な批判や諷刺がこめられていました。 これを作り、街頭で歌う演歌師は気鋭のストリート・シンガーであり、市井のジャーナリストでもありました。 その頂点に立ったのが唖蝉坊です。「ストライキ節」「ラッパ節」「あゝ金の世」「ノンキ節」など、唖蝉坊の演歌は、無骨で啓蒙色の強い従来の演歌(壮士節)とは異なり、民衆の立場から世相を捉えた親しみやすさで、広く人びとの心をとらえました。
父・唖蝉坊の薦めで書いたデビュー作「東京節」が大流行した長男・知道も10代から演歌師として活躍し、「復興節」「ストトン節」などのヒット作を著した後、文筆業に転じます。 早くに母を亡くした幼少年期の知道は、演歌に熱中し、家族を顧みない唖蝉坊に反発を覚えはしたものの、父と同じ道を歩んだことで、父の卓抜した才能を認め、後年唖蝉坊の顕彰に努めます。 また演歌だけでなく、下層社会のさまざまな文化を考察した著作を数多く遺しました。
本展は知道の甥・入方宏氏からご寄贈いただいたコレクション「添田唖蝉坊・知道文庫」から、稀少な演歌本などの関連資料で構成します。 本展を通じて、終始反骨精神を貫いた父子の生涯と、現代社会へも通じる鋭い批評性、諧謔味に満ちた作品世界の真価をお伝えしたいと願っています。