お化けや妖怪が大好きな日本人。漫画やアニメで何度も取り上げられており、ゲゲゲの鬼太郎、妖怪人間ベム、ドロロンえん魔くん、幽☆遊☆白書、妖怪ウォッチと、いくつでも挙げられます。
妖怪は死と隣り合わせにあり、本来は畏怖すべき存在です。ただ、江戸時代にはすでに興味関心の対象になっており、妖怪をテーマにした絵本や錦絵も大量に作られました。今につながる「妖怪ブーム」は、かなり前から始まっていた事になります。
展覧会では館蔵品を中心に個人蔵も加え、ちょうど100点で幽霊や妖怪を紹介。あわせて、それらが江戸文化で果たした役割も考察します。
冒頭は、狩野洞雲益信による《百鬼夜行図》。妖怪が行列を成して進むさまは、江戸時代に数多く描かれました。作者の狩野益信は狩野探幽の養子で、駿河台狩野家の祖。ユニークな描写ですが、各所に狩野派ならではの力量が見て取れます。
会場には、遊びに取り入れられた妖怪の姿も。歌川芳員《新板化物づくし》では、釜や酒樽も妖怪になっています。
江戸時代に妖怪が飛躍(?)した要因として、歌舞伎での上演もあげられます。怪談物の歌舞伎が成立したのは、文化・文政(1804~30)期。早替わりや戸板返しなど効果的な演出もあり、庶民の人気を博しました。怪談物の歌舞伎の流行を受けて、幽霊や妖怪を演じた役者絵も数多く描かれています。
妖怪は盛り場にも進出。見世物興行では等身大の幽霊がつくられたほか、現在の幻灯にあたる“写し絵”でも、幽霊が再現されています。
源頼光と四天王らの土蜘蛛退治など、英雄の武勇譚にも妖怪は登場します。「豊国にかほ(似顔)国芳むしや(武者)広重めいしよ(名所)」と呼ばれたように、武者絵といえば歌川国芳。横に三枚つないだ「大判三枚続」は、迫力たっぷりです。
激動の幕末・明治初頭には、妖怪を描いた浮世絵に世相への皮肉も込められました。歌川芳盛《昔ばなし舌切雀》には、箱から出てきた妖怪の中に、顔が長州藩毛利家の家紋になっている大入道が。発行された元治元年(1864)は、長州が敗北した「蛤御門の変」がおこった年です。
展覧会は企画展示室Bで開催。ただ、企画展ではなく特集展示のため、観覧料も常設展の料金(一般 600円など)と同額です。会場前にはスタンプで多色刷り版画のポストカードが作れる楽しいコーナーもありました。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年7月29日 ]