ペンシルベニア州の鉄鋼王を祖父に持つダンカン・フィリップス。大学在学中から芸術に関心を持ち、26歳で初めて絵画を購入しました。フィリップス・メモリアル・アート・ギャラリー(現フィリップス・コレクション)は1918年に創設、1921年に一般公開されました。
展覧会はフィリップス・コレクションの設立100周年を記念したもの。ダンカンの購入順に作品を紹介するという、ちょっと珍しい趣向で、近代美術を見続けたコレクターの活動を追体験します。
1章「1910年代後半から1920年代」。ダンカンが初期のコレクションで重視したのは、クールベとドーミエでした。また、ボナールは1925年の展覧会で見て以来、30年近く購入を続けています。
2章「1928年の蒐集 フィリップスの嗜好形成」。この年はダンカンの好みが強く反映された年で、マネ《スペイン舞踏》、ボナール《棕櫚の木》、セザンヌ《自画像》などを購入。セザンヌ《自画像》は、翌年に開館したMoMAの開館記念展に出品されています。
3章「1930年代 理想の蒐集品」。キュビスムにおいて、ダンカンはピカソよりもブラックを好みました。特に1920年代のブラックの作品を評価し、立て続けに蒐集。「フランス的センスにあふれている」と評価しています。
4章「1940年前後の蒐集」。戦乱の時代でも熱心に蒐集を続け、1944年には初めてカンディンスキーを入手。1948年には美術館の名称をフィリップス・ギャラリーに変更しました。
5章「第二次大戦後」。ダンカンの蒐集は、自らの意思が最優先。そのため、画家の特徴的な画題には、必ずしもこだわりません。例えば、ゴーガンの《ハム》を1951年に入手する一方で、タヒチ時代のゴーガン作品は手放しています。
6章「ドライヤー・コレクションの受け入れと晩年の蒐集」。蒐集家のキャサリン・ドライヤーと知り合ったのは1941年。ドライヤーの死後、遺品の寄贈を受けました。ただし、受け入れたのは、カンディンスキーやマルクなど17点のみ。なんとブランクーシの彫刻は拒否しています。
最後は7章「ダンカン・フィリップスの意志」。講演や評論も行うなど、モダン・アートの普及に努めたダンカン。1961年には美術館の名称が現在のフィリップス・コレクションになりました。最終章に展示されているドガとロダンは、ダンカンが没した後にコレクションに加わったものです。
私邸を美術館として公開したダンカン・フィリップス。小さな部屋が連続する
三菱一号館美術館での展覧会は、ダンカンが目指したスタイルに近いかたちといえます。ひとつひとつの作品とじっくりと対話するようにお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2018年10月16日 ]