印象派の巨匠、ピエール・オーギュスト・ルノワール(1841-1919)。日本でも抜群の人気があり、国内の美術館に所蔵されている作品は、それぞれが館の看板的な存在です。モネと並んで、最も親しまれている近代西洋画家といえるでしょう。
本展は、オルセー美術館とオランジュリー美術館が所蔵するルノワールの名作を紹介する企画。パリでも両館の作品を見るにはセーヌ川を渡らなければなりませんが、同じ会場で楽しむ事ができるという、信じられないような贅沢な展覧会です。
展覧会は10章構成で、いきなり印象派の傑作《陽光のなかの裸婦(エチュード、トルソ、光の効果)》が登場。第2回印象派展に出品され、青みがかった肌の表現が「腐敗した肉体」という酷評を受けた事は有名です。
1章「印象派へ向かって」本展を楽しみにしていた方は、やはりこれがお目当てでしょう。《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》は1876年の作品で、第3回印象派展に出品されました。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットは、モンマルトルの丘の有名な大衆ダンスホール。日曜日には昼から真夜中まで、庭でダンスパーティーが開かれていました。木漏れ日の下でダンスに興じる人々は、どこまでも陽気。作品全体が朗らかなイメージに満ちています。
作品は131.5×176.5cmと、かなり大型。描かれた人物は、ルノワールの友人たちがモデルを務めています。
《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》を挟んで反対側には、《都会のダンス》と《田舎のダンス》が並んで展示されています。
両作はほぼ同じ寸法で、描かれたのも1883年と同時。一対の作品として制作されたものです。《都会のダンス》はユトリロの母であるシュザンヌ・ヴァラドン、《田舎のダンス》はルノワールの妻になるアリーヌ・シャリゴがモデル。男性は両作ともにルノワールの友人でジャーナリスト・小説家のポール・ロートです。
向い合せの《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》から7年。絵画のスタイルが大きく変容していったさまもよく分かります。
《都会のダンス》と《田舎のダンス》「悲しい絵を描かなかった唯一の偉大な画家」とは、小説家のオクターヴ・ミルボーによるルノワール評ですが、確かにルノワールの作品からは、常に優しく温かいまなざしが感じられます。
そんなルノワールにとって、友人や顧客から頼まれて描いた子どもの肖像はお手のもの。さらに自身は子どもに恵まれたのが遅かった事から(三男クロードが生まれた時、ルノワールは60歳!)晩年まで子どもに囲まれて過ごしました。その時々のスタイルで、愛らしい子どもの作品を描いています。
6章「子どもたち」展覧会の最終章は裸婦です。印象派の後に古典的な形態把握の探求に戻ったルノワールにとって、裸婦を手掛けるのは必然。ベルト・モリゾにも「芸術に不可欠な形式のひとつ」と語っています。
ルノワールが敬愛していたティツィアーノ《ウルビーノのヴィーナス》へのオマージュと思われるのが、並んで展示されている横長の裸婦像二点。それぞれ本来はオルセーとオランジュリーの所蔵のため、比較して見られるのは本展のみです。
会場最後の《浴女たち》は、最晩年の大作。麻痺が進み不自由な身体になりながら描いた作品ですが、明るく華やかな色彩で生命力に満ちあふれています。
10章「裸婦」ゴールデンウイーク前から始まった展覧会で会期は4ケ月のロングランですが、いよいよ最終盤。巡回せずに国立新美術館だけでの開催です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2016年4月26日 ]■国立新美術館 ルノワール展 に関するツイート