1919年にドイツで設立された芸術学校、バウハウス。開校100年を記念した展覧会が、ようやく東京に巡回してきました。
展覧会では現代の造形教育の土台になったユニークな教育方法やその成果、さらにバウハウスに学んだ4人の日本人についてなど、100年の歩みを5章で紹介していきます。
2階展示室
第1章は「〔導入〕 学校としてのバウハウス」。バウハウスは旧ザクセン大公立美術大学校と旧ザクセン大公立工芸学校が併合されるかたちで誕生。1926年にヴァルター・グロピウスによるバウハウス・デッサウ校舎が竣工すると、大きく成長していきました。
機関誌「バウハウス」も、デッサウ校舎の竣工に合わせて刊行。これらの出版物にも、バウハウスのデザインの粋を見ることができます。
第1章「〔導入〕 学校としてのバウハウス」
第2章は「バウハウスの教育」。バウハウスでは基礎教育(初期は半年、後に1年)の後に、工房教育への準備段階として、素材の性質や構造を把握する、対象を分析して表現する、そして形態と色彩に関する訓練などが行われました。
バウハウスが掲げた理念は、建築の下に諸芸術を統合すると言うこと。その要となる基礎教育は極めてユニークで、学生たちの気づきを促す内容でした。
紙を扱う演習では「切る、折る、曲げる」だけで立体を制作。無造作に積み上げられた机や椅子など物のかたまりから、単純な基本的形態を見出す「分析的デッサン」なども行われました。
第2章「バウハウスの教育」
第2章「バウハウスの教育」
第3章は「工房教育と成果」。基礎教育を修了すると、専門課程である工房教育に進みます。
工房は家具、金属、陶器、織物、壁画、版画、印刷広告などさまざま。時代にあわせて淘汰や統合など、組織は変容していきました。
工房は単なる教育機関にとどまらず、新たなデザインの実験の場でもありました。
バウハウスを象徴するデザインといえる、マルセル・ブロイヤーの鋼管椅子などの画期的なプロダクトも、学校の工房から生まれたものです。
第3章「工房教育と成果」
第3章「工房教育と成果」
第4章は「〈総合〉 の位相」。工業化社会が進んでいった、1920年代のドイツ。バウハウスでは技術と芸術は対立するものではなく、積極的に結びつけるべきと考えました。
1923年のバウハウス展では、実験用の住宅を建設。建築は工業化され、室内の家具調度にはバウハウスの諸工房が協力しました。
ここに、バウハウスが目指した総合の力を見ることができます。
第4章「〈総合〉 の位相」
第4章「〈総合〉 の位相」
第5章は「バウハウスの日本人学生」。バウハウスに留学した日本人は4人。うち、東京美術学校(現・東京藝術大学)助教授の水谷武彦、同校を卒業した建築家の山脇巌・道子夫妻はともかく、大野玉枝は入学後ほどなくしてバウハウスが閉鎖されてしまった事もあり、これまであまりその活動が知られていませんでした。
4人全員の活動が紹介されるのは、本展が初めての機会となります。
第5章「バウハウスの日本人学生」
第5章「バウハウスの日本人学生」
バウハウスは1933年にナチにより閉鎖。その活動はわずか14年でしたが、アートとデザインの両面で、世界中に大きな影響を与えました。
その多彩な活動を実感できる、充実の展覧会です。チケットは日時指定による事前購入制、ローソンチケットのみの販売です。美術館の近くにはローソンはないので、事前にお買い求めの上、お出かけください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2020年7月16日 ]