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黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部 ―美濃の茶陶
■黄‘瀬戸’なのに、美濃?
【会期終了】 茶の湯が栄えた安土桃山時代。美濃国(岐阜県東濃地域)でつくられたやきものは、独創的な意匠で人々の心を捉え、おおいに珍重されました。その造形的な魅力と、近代以降の美濃焼復興を紹介する展覧会が、サントリー美術館で開催中です。
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(左奥から)《志野茶碗 銘 鯨帯》加藤唐九郎 昭和44年(1969) 愛知県陶磁美術館(川崎音三氏寄贈) / 《黄瀬戸茶碗》加藤唐九郎 昭和57年(1982) 唐九郎陶芸記念館 / 《茜志野茶碗》加藤唐九郎 昭和60年(1985) 唐九郎陶芸記念館
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まずは、基本的なおさらいから。美濃焼は作風や技法によって黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部に分類されます。
ここで「美濃は岐阜県なのに、なぜ瀬戸(愛知県)の名が?」と思いますが、実は美濃焼の産地が判明したのは昭和に入ってから。それまでは瀬戸で焼かれたと考えられていたので、瀬戸の名が残っているのです。 美濃焼の名品を数多く揃えた本展は、二章構成。第一章「美濃における茶陶創造」では、美濃焼の魅力を四つのキーワードで解説しています。 最初は「姿を借りる」。美濃焼には中国陶磁や古銅器などから象ったものがあります。ただ、単なる模倣ではなく、美濃焼ならではのエッセンスが付加されているのがポイントです。 続いて「描く」。志野に良く見られる鉄絵は、釉下に鉄で下絵付けをする技法。器に絵が施されることで、表現の幅が格段に広がります。 次は「歪む」。茶碗や水差しなどに見られます。あえて形を歪ませる手法は、伊賀焼や唐津焼など同時代の和物茶碗にもしばしば見られます。日本ならではの美意識といえるでしょう。 最後は「型から生まれる」。型打の技術により、器は円形から解放され、ユニークなフォルムが登場。もちろん、大量生産が可能になった事も特筆されます。 一気に時代は飛び、第ニ章は「昭和の美濃焼復興」。近代日本の黎明期に活躍した実業家たちは、茶席で交友を深めるべく、茶道具の名品を収集しました。美濃の茶陶にも、熱い視線が注がれる事になります。 美濃焼の美意識に触発された近代陶芸家が、荒川豊蔵(1894-1985)と加藤唐九郎(1897-1985)です。 荒川豊蔵は陶器商を経て、魯山人の星岡窯で作陶。1930年(昭和5)に岐阜県可児市久々利大萱の古窯跡から志野筍絵筒茶碗の陶片を発掘し、美濃焼の産地を探りあてました。自らは志野の再現を目指して、作陶に没頭しています。 加藤唐九郎も同時代の陶芸家。1930年(昭和5)に発表した《志野茶碗 銘 氷柱》の銘をつけたのは、唐九郎と交友があった益田孝(鈍翁)でした。 自由な表現で茶陶の世界を大きく広げた美濃焼。個人蔵の逸品も数多く出展されています。その魅力をたっぷりとお楽しみください。 なお、サントリー美術館はこの展覧会の後、改修工事のため休館に入ります。再オープンは2020年5月の予定です。 [ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年9月3日 ]
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