陶芸家 河本五郎と聞いて、その仕事を知っている人がどれだけいるだろうか。1950年代から80年代に活躍した河本五郎。様々な技法に挑戦し、新しい世界を築こうとした知られざる陶芸家だ。今、没後東京でははじめてとなる回顧展が、菊池寛実記念智美術館で開かれている。
会場風景
会場に入ったとたん、まず驚かされるのが、これが一人の作家の作品かと思わせるほど作風の異なる3つの作品だ。土の荒々しさを強調した大きな陶板のような大作「黒い鳥の器」と「灰釉鳥の器」。
器という名前からわかるように口があり花器かと思わせるが、正面には大きな裂け目が入る斬新な形だ。衝立としての機能を考えて作られていることが窺えるような作品だ。
黒い鳥の器(奥) 灰釉鳥の器(手前)
そして次に現れるのは座り込んで体をよじるような人らしき姿を、粘土を使い手びねりで表現した「陶人俑群」。高さ20ンチほどの5体からなる実にユニークな作品だ。
陶人俑群
続いて登場するのが、これまたまったく作風の異なる磁器の作品「色絵龍文花器」。どこか中国の青銅器の形態を思い起こさせる箱のような作品で、龍らしき姿が大胆に描かれる。
色絵龍文花器
陶芸家河本五郎とはいったいどんな人間なのだろう。河本は1919年伝統的な焼き物の産地、瀬戸の製陶業を営む家に生まれ、窯業学校で学んだあと戦争で中国に出征。1946年に復員しその後、染め付け磁器の陶芸家に養子として入る。
最初は磁器土ではなく陶土を使い、土の表情を追うことに専念したという。1956年から10年ほどクラフトデザイン協会にも参加していた河本は、あらゆる技法を使い様々な形を生み出すことに挑戦した。
竹に縄を巻き付け、これを心棒に板状の粘土を巻き付けて制作したという、高さ75センチもある「長壺」。表面のテクスチャーと、そこにできた裂け目が印象的だ。
長壺
同じく壺でもおよそ形が異なる「灰白釉飾壺」。どっしりとした丸みを帯びた胴体に細い首つき、酸化コバルトを含む土で作られた独特の色合いが印象的だ。
灰白釉飾壺
型成形で作った「炻器未久鱗」。型を使っているということはもしかしたら量産も視野に入っていたのだろうか。様々な成型方法に挑戦していたことがよくわかる。このほかに陶人形や面などユニークな形や装飾の作品が並ぶ。10年ほど続く河本の土の表情を強調した作風と形態への挑戦は当時「五郎調」とも呼ばれ、このような作風の影響を受けた若い作家も多くいたようだ。
炻器末久鱗
1970年代に入ると、河本は生まれ育った家の家業でもあった染め付け磁器の世界へと回帰していく。しかし河本は、伝統的な瀬戸の職人が担っていたろくろで量産する染め付け磁器の世界からは一歩離れた独自の世界を築こうとする。
今回の展覧会の後半では、磁器の作品を集中的に見ることができる。板状にした磁器土を張り合わせ、あえて歪みやたわみを強調した斬新なデザインの作品だ。
型成形でつくられた今回のメインビジュアル「赤絵の箱」。高さ41センチ、幅と奥行き30センチ以上の大きな箱だ。各辺の長さと角度をあえて違えるというどこかシュールな形。いったん見たら忘れられない強烈な印象を与える。
赤絵の箱
板状の土が歪んで反り返った蓋が特徴の「色絵撩乱の箱」そして「色絵足足器」。描かれているのはなんとデフォルメされた人間の足や体。粘土の板をあえてここまで歪ませ、人体の一部を描くという実にユニークな作品だ。
色絵撩乱の箱
色絵足足器
亡くなる2年前の作品「染付流沙幻相匣」。箱状の作品だが、大胆な凹凸とクルクル巻いた蓋がなんとも面白い。濃淡のある染め付け風の塗り方は、瀬戸の伝統を感じさせる。
染付流沙幻相匣
伝統を背負いながらも常に新しい形を求め続けた河本五郎。ある対談で河本が語った次の言葉が強く印象に残る。
「既成の技術をいくら取り揃えても新しいことはできない。陶芸家が芸術家であるとすれば、今まで見たこともない新しい美しさを発見して創り出してみせる義務がある・・・・。」
従来の世界に安住せず、それまでに見たこともない新しい焼き物の世界を構築することは容易ではない。土と格闘した一人の陶芸家の挑戦が見て取れる興味ある展覧会だ。
[ 取材・撮影・文:小平信行 / 2023年4月21日 ]
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