白洲次郎は芦屋出身なのもあっての神戸への巡回だったのか。関西に居れば「芦屋」と聞けばまぁええとこのボンということは推察が出来ますが、見目も中身もジェントルマン、なかなかこんな方は居なかっただろう。審美眼は確かな道子が一目惚れするはず。恵まれた環境に育ち、高い教養を持った二人には自然とそれなりの人、才能が集まる。骨董を普段使いにして、悠々自適にイギリス風のプチ田舎生活。戦後処理対米の最前線で交渉に立った白洲次郎ではあるが、どうしても親族に言い遺しておくべきことがあった「葬式・戒名は不要!」この時期に考えさせられる次郎の遺言でした。