来年は吉田茂没後40年にあたります。吉田茂氏は第二次世界大戦後、アメリカの占領下にあった日本で首相として戦後復興に力を尽くし、今日の基盤を作り上げた大政治家です。総理時代には「写真嫌い」の異名をとり、ユーモア、暴言、名言ほか、多くの逸話を残しました。
戦後ジャーナリズム写真の代表的な写真家の一人として活躍されていた吉岡氏と吉田茂元総理の出会いは昭和25年までさかのぼります。翌26年に吉田内閣の偉業のひとつである講和条約の締結をひかえ世相が緊迫する中、吉岡氏は取材で大磯にある吉田邸を訪れます。緊張しながら対面すると、ニコニコ笑いながら「写真では君より先輩だヨ」と吉田元総理から声をかけられ面喰ったといいます。若い時分に写真を愛好していた吉田元総理は「辛抱づよくチャンスを狙ってよい写真を撮る吉岡君の人柄に魅せられ」たと語り、それ以来、たびたび写真撮影を依頼するようになりました。
今回の作品展では、写真集『吉田茂』に掲載された作品を中心に、和服にパナマ帽を被り庭を散策する姿、恩賜の鳩杖を握る武骨な手、玄関先の大壷に無造作に立てかけられた沢山のステッキ、トレードマークの葉巻をふかし寛いでいる様子、夕暮れどき2階の部屋から富士山をじっと眺める後ろ姿、広大な敷地を誇る大磯の自邸の様子など、吉田茂元総理の素顔をさまざまな視点でとらえた作品、約80点(全作品モノクロ)を展示します。
写真集の巻頭で、吉田元総理は「世間の批評にかかわらず、このような写真集ができたことは、吉岡君の才能もさることながら、私の写真嫌いの汚名を雪ぐ絶好の機会として心の片隅で快哉を叫びたい気持ちである」と述べています。吉岡氏のカメラの前では理想的なモデルに徹し、常に穏やかな笑顔をたたえ、時にはにかみ、時に大口を開け笑う様子から、深みのある人柄が伺えます。それらは私達が抱いているイメージを鮮やかに塗り替え、「写真嫌い」の横顔はこの大政治家のほんの一片にすぎなかったのだと気付くのです。吉田内閣は第5次をもって昭和29年に幕を下ろしましたが、その後も、吉田元総理をよりどころに多くの政治家が「大磯参り」をしました。昭和42年10月20日、89歳で逝去されたときは、戦後初の国葬が日本武道館で執り行われました。「吉田茂」はまさに昭和の代名詞ともいえる偉大な政治家だったといえましょう。