国産最初の「金銭登録機(レジスター)」製造を手がけた発明家の間宮精一氏は、長年の願望であった外国製品にひけを取らない高級国産カメラの製作を計画しました。間宮氏の計画に賛同した菅原恒二郎氏とともに1940(昭和15)年3月、東京・本郷に「マミヤ光機製作所」を設立し、フィルム面で焦点調節を行うなど独創的な機構を持つスプリングカメラ「マミヤシックス(I)」の生産を開始しました。
「マミヤシックス(I)」は戦時下で一般向けカメラの生産がほとんど不可能な状況にもかかわらず、国産の優良製品として認められ戦争終結まで生産を継続することができました。また終戦後には評判を聞きつけた米軍中央購買局などから生産が追いつかないほどの注文を受けました。
1950(昭和25)年12月には「マミヤ光機株式会社」に改組し、以降もレンズ交換が可能な二眼レフカメラ「マミヤフレックスCプロフェッショナル」、フィルム室がマガジン形式で交換できる35ミリカメラ「マミヤマガジン35」、様々な撮影用途に対応するプレスタイプのカメラ「マミヤプレス」、画面の縦横変換が容易にできる一眼レフカメラ「マミヤRB67プロフェッショナル」、国産最初の画面サイズ45x60ミリ判一眼レフカメラ「マミヤM645」など、他に例を見ない個性的かつ多様な使用目的に応える機種を次々と送り出し、プロカメラマンや写真作品を製作するハイアマチュアの絶大な支持を得ました。
1992(平成4)年10月には釣具事業を主体とした株式会社オリムピックと合併し、社名を「マミヤ・オーピー株式会社」に変更するとともに電子機器製品、スポーツ用品などへ事業分野を拡大しました。その後も業務用向けカメラの急速なデジタル化移行に伴い、既存製品のデジタル対応化を進めるとともに、2005(平成17)年には大型の撮像素子を採用したデジタル一眼レフカメラ「マミヤZD」を発売しました。そして本年9月には「マミヤ・デジタル・イメージング株式会社」としてカメラ事業に特化し新たなスタートを切りました。
今回の特別展では、マミヤ・デジタル・イメージング株式会社の協力を得まして、カメラの歴代主要製品を展示するほか、試作品、モックアップなど貴重な資料を展示・紹介いたします。