本展覧会では、現在の岐阜県多治見市根本町で19世紀中頃から100年余りの間に生産されていた「根本焼」と、その開窯を後押しした当時の代官「坂﨑源兵衛」を紹介します。
江戸時代末期、可児郡根本村(現・多治見市根本町)は旗本林氏が支配していました。江戸詰めの林氏に代わり、根本村を含む四カ村の統治を任されていたのが、代官坂﨑源兵衛です。
当時天保の飢饉などの影響により、苦しい生活を余儀なくされていた根本村の現状を憂い、源兵衛は領地内の産業開発を進めていきます。
そうした時期に、春日井郡外之原(とのはら)(現・愛知県春日井市)出身の小助という者が、根本村に仕事を求めてやってきます。瀬戸で磁器生産の技術を習得していた小助は、源兵衛の庇護のもと染付磁器の商品化に成功し、「根本焼」の基礎を築きました。
一方で産業開発には多額の資金が必要となります。源兵衛は領民に対し、厳しい税のとりたてや諸事取締まりを行ったため、それに対する反発もありました。後にそこから発展したトラブルにより、その後の「根本焼」の隆盛をみることなく暗殺されてしまいます。
「根本焼」は高価な呉須を用い、手描きによる絵付けを施した染付磁器でその名が知られています。呉須の色には柔らかみがあり料理を美しく引き立てることから、冠婚葬祭や年中行事で用いられたもてなしの器として、明治中期頃から大正時代にかけて最盛期を迎えました。
本展では、今まで多くを語られなかった代官坂﨑源兵衛に焦点を当て「根本焼」のはじまりに込められた思いと、窯の火が途絶えて60年以上経ってもなお、色あせない根本焼の魅力に迫ります。