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メスキータ
■エッシャーの師、日本初の大回顧展
【会期終了】 19世紀から20世紀にかけて活躍したオランダのアーティスト、サミュエル・イェスルン・デ・メスキータ(1868-1944)。エッシャーに大きな影響を与えましたが、その最期は悲劇的でした。日本で初めての回顧展が東京ステーションギャラリーで開催中です。
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「M.C.エッシャーの師」という取り上げられ方が多いメスキータ。エッシャーの関連作品としての展示はありますが、今回は正真正銘、メスキータを主役に据えた大規模展です。
メスキータはアムステルダム生まれ。国立美術アカデミーを受験するも不合格となり、結局、国立師範学校で美術教育の資格を取りました。 初期は油彩や水彩を描きましたが、1890年頃からエッチングやリトグラフ、木版画などの版画も手掛けるように。とりわけ得意にした木版画が、後にエッシャーに影響を与える事となります。 展覧会のメインビジュアル《ヤープ・イェスルン・デ・メスキータの肖像》は、息子を描いた作品。他に自画像も数多く並びます。メスキータは生涯を通じて自画像を手掛けています。 1902年にハールレムの応用美術学校の教師になったメスキータ。エッシャーはここでメスキータの教えを受けました。特にエッシャーの初期作品には、メスキータの影響が強く見て取れます。 本展の特徴のひとつが、ステート違いの作品を展示している事。版画の制作では、工程の段階ごとに試刷りをしていくため、最初の試刷りが第1ステート。以後、最終ステートまで番号が増えていきます。ステートを追う事で、創作のプロセスが楽しめます。 例えば《ユリ》は、第5ステートまで進みました。ベタの背景に線が加わり、人物も増えるなど、大きく変化している事が分かります。 メスキータは木版画制作の中で、しばしば対象を幾何学的に構成する事があります。《鹿》は顕著な例で、角は三角形に。鹿のフォルムもデザイン性が高くなっています。 版画は綿密に計算しながら制作を進めるメスキータですが、ドローイングは真逆です。本人いわく「まったく意図していない無意識の表れ」で、現実と空想が入り混じったような作品を数多く描いています。 会場には、メスキータが表紙のデザインを担当した建築と美術の雑誌『ウェンディンゲン』も並びます。表紙は1920年代のさまざまなスタイルの作家がデザインを手掛け、メスキータは計9回担当。うち2回は、メスキータ自身の特集でした。 高齢になっても精力的に活動を続けたメスキータですが、その晩年は暗黒の時代と重なってしまいます。1940年、ドイツはオランダを占領。ユダヤ人であるメスキータは1944年に逮捕され、アウシュビッツで75歳の生涯を閉じました。 師の悲報を嘆いたエッシャーは、いちはやくメスキータの作品を保護。終戦後すぐにメスキータの展覧会も開催しています。今日までメスキータ作品が残っているのは、エッシャーの尽力があったからこそです。 東京ステーションギャラリーから始まった巡回展。東京展の後は千葉、兵庫、栃木、福島と進みます。会場と会期はこちらです。 [ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年6月28日 ]
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