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特別展「江戸のスポーツと東京オリンピック」
■サムライもポロ(?)で鍛錬
【会期終了】 日本に「スポーツ」が来たのは、明治時代になってから。お抱え外国人教師たちがヨーロッパの競技を教えたのが端緒ですが、江戸時代にも当時の「スポーツ」と呼べるような競技や運動がありました。日本におけるスポーツとオリンピックの歴史を紐解く展覧会が、東京都江戸東京博物館で開催中です。
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2020年7月24日の東京オリンピック開幕まで、あと1年。前売りチケットも大人気と、早くも大きな盛り上がりを見せています。
東京2020大会に向けて企画された本展。会場構成は年代順で、冒頭が江戸時代です。当時おこなわれていた行事や競技から、現在のスポーツにつながるものを見出しているのが、本展最大の特徴です。 「スポーツのような武芸」なら、すぐに思いつくのが剣術。江戸時代には現在の剣道につながる防具も完成し、修練の方法も、形稽古から竹刀打ち込み稽古に変化しました。 弓術は、京都で行われる「三十三間堂通し矢」が、17世紀に流行しました。現在でも成人式の後に行われ、振袖姿の新成人が弓を引く姿は、しばしばニュースで紹介されます。 ただ、現在は的までの距離が60メートルですが、当時の「大矢数」は、本堂の端から端まで121メートルを、一昼夜かけて射続けるという過酷な競技。最高記録は、13,053本を射て8,133本命中という、とてつもないものです。 あまり知られていないと思われる球技が、打毬(だきゅう)。馬に乗って、先端に網が付いた杖を使って、地面に置かれた毬をゴールに投げ入れるもの。現在のポロとイメージは近そうです。 もとは神事だったものが、江戸時代に興行となり、庶民の人気を集めたのが相撲です。史上最強の呼び声が高いのが、雷電為右衛門。身長197センチ、体重170キロ、勝率9割6分2厘。ちなみに白鵬は192センチ、158キロ、8割4分6厘です。 明治になると近代スポーツが普及。従来の武芸も近代的に整備され、スポーツとして受け継がれていきました。 柔術は嘉納治五郎によって柔道に。国際的な視野を持っていた嘉納は、柔道を海外に広めるとともに、日本のオリンピック参加、そして招致にも尽力します。 嘉納の努力は実を結び、 1940年大会の東京開催が決定。ただ、日中戦争の拡大から開催は返上され、幻の大会となりました。 終戦後の復興が進む中で、再びオリンピック招致の気運は高まり、1964年大会の招致に成功します。日本はこの大会で9つの種目でメダルを獲得、東洋の魔女(女子バレーボール)、円谷幸吉(男子マラソン)らの活躍は、国民を熱狂させました。来年は、56年ぶりにその興奮が東京にやってくる事になります。 日本オリンピック委員会によると、2020年東京五輪の金メダル獲得目標数は30個との事。かなり野心的な数字ですが、柔道、レスリング、バドミントンなどでの量産に期待しましょう。私は前売りチケットのセカンドチャンスに望みをかけたいと思います。 [ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年7月5日 ]
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