時代が移り、すっかり町の風情は変わっても、意外と変化しないのが土地の高低。現在の東京も、江戸時代とほぼ変わらない地形の特徴が見られる場所が、各所にあります。
展覧会は、地形の高低差が感じられる浮世絵を紹介する企画。東京スリバチ学会が全面協力しました。
凸と凹を繋ぐのは、坂道。という事で、会場は坂を描いた作品から。歌川広重による《東都名所坂つくし》は、江戸のさまざまな坂道を題材にした10点の揃物で、まさにこの企画にピッタリの作品です。
歌川広重《東都名所坂つくしの内 伊皿子潮見坂之図》は、現在の港区三田の伊皿子坂。ここから江戸湾が一望できました。
歌川広景《江戸名所道外尽 廿八 妻恋こみ坂の景》は、文京区湯島。妻恋坂から北に伸びる芥坂(ごみざか)です。厠があったようで、鼻をつまんでいる人がいます。
ちなみに、乃木坂は江戸時代には幽霊坂と呼ばれていましたし、欅坂(けやき坂)は六本木ヒルズ再開発にともなってできた坂という事もあり、この展覧会にはありませんでした。
続いて、10のエリアで江戸の凸凹を紹介。「御茶ノ水・神田」「王子」「愛宕山・芝」「目黒」「品川・御殿山」「上野」「浅草」「日比谷・日本橋」「佃島・築地」「深川・木場」と進みます。
「凸」の中には、人工的に作られた山も。富士山に模して各所に造られた「富士塚」は、目黒にもありました(現存せず)。歌川広重《名所江戸百景 目黒新富士》は、富士塚である目黒富士(新富士)と、目黒川の桜を描いています。
歌川広重《東都名所 王子瀧の川》は、北区の滝野川(石神井川の下流)。当時は蛇行し、弁天の祠や滝があり、行楽地でもありました。
紹介されたエリアの中で、特に現在と大きく違うのが、日比谷・日本橋エリア。家康が江戸に入るまでは、日比谷付近まで海が入り込んでおり、銀座界隈は江戸前島という半島でした。江戸初期に埋め立てられ、大名屋敷などが建てられる事となります。
中には、なくなってしまった幻の地形も。隅田川に架かる新大橋の下流には「中洲新地」という大歓楽地があり、多くの茶屋で賑わっていましたが、寛政元年(1789)年には取り壊されてしまいました。理由は分かっていませんが、風紀取締のため廃止された、という説もあります。
展覧会の最後には、上空から見た江戸の姿も。もちろん、ドローンなどなかった時代ですが、浮世絵師たちは発想豊かに俯瞰した江戸の町を描きました。
会場では、浮世絵が描かれたスポットがマークされた地形図も配布されます(公式サイトからもダウンロードできます)。東京の土地カンがある人は、現在の地形を思い浮かべながら見ると、より楽しいと思います。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2019年5月31日 ]